東ティモール旅行記 ディリと近郊のクリストレイ(2017年10月)

2017年10月にインドネシアと東ティモールへ行きました。
今回は東ティモールの旅行記です。

インドネシアのバリ島からわずか1時間程度の距離ですが、東ティモールの1人当たりGDPはUSD2,000と、インドネシアの約半分の水準です(2017年)。
観光としては行き先に挙がりにくいのですが、バリ島から容易に往復できるため、経験だと思い行ってみました。

【目次】
1.  東ティモール基礎情報
2.  東ティモールへ
3.  ディリ

1. 東ティモール基礎情報

人口 :119万人
面積 :14,919平方キロ
首都    :ディリ
公用語:テトゥン語、ポルトガル語、インドネシア語
時差 :UTC+9(日本と同じ)
通貨 :アメリカドル(USD)
レート:USD1=JPY111.11(2018年9月2日時点)
ビザ   :ディリ空港到着時にUSD30でアライバルビザが取得可能(2018年9月時点)

2. 東ティモールへ

翌日10月7日(土)、朝7時過ぎにバリ島のデンパサール空港に到着した。
インドネシアのLCCであるCitilinkでチェックインをする際、『東ティモールは初めてか?』と聞かれた。

初めての旨を伝えると、何やら誓約書のようなものにサインさせられた。
一瞬しか文面を見る時間が無かったので詳細は解らないし、後日ネットで調べても正体は出てこかった。
何かあった時の免責書面だったのかもしれないが、チェックインの際にサインをしなければならなかった事例は初めてなので結局、よくわからなかった。

9時半発のデンパサール発のフライトは順調で、2時間もしないうちに東ティモールの首都ディリに到着した。
ディリ時間はバリ島時間よりも1時間プラスになるため、ディリ着は12時半頃。

ディリ空港の赤い屋根は青い空に映える。

東ティモールはビザが必要だが、到着後に空港で取ることができる。
ビザ代USD30(約3,350円)を窓口で支払い、ビザシールを受け取って自分でパスポートに貼る。

普通は窓口がパスポートを預かって貼ってから返却というパターンだが、自分で貼るという東ティモールのパターンは初めてで新鮮だった。

3. ディリ

空港から出ると、怒涛の勢いでタクシーの運転手が群がってきた。
東南アジアの大きくない空港ではどこでもそうだが、ここでは今までにないくらいの人数が押し寄せて来るので2歩歩くたびに声をかけられるほど。

結局、観光で来たというアメリカ人に声をかけて一緒にタクシーを捕まえて市内に向かうことにした。
タクシーの運転手は、1人だとUSD10(約1,120円)だったが、2人だったので1人USD8(約880円)で良いという。
大して変わっていないが、交渉するのも面倒だったのでその金額で折れた。

市内中心部のドミトリーにチェックインし、荷物を部屋に置いた。
2人部屋だが客がいないようで、もしかしたら1人部屋になるかもしれないとのことだった。

宿を出て、まずはタクシーで町はずれのクリスト・レイに向かうことにした。
クリスト・レイはディリの西側にある巨大なキリスト像で、アジアで最も大きい(2017年時点)。
タクシー代は、ディリ中心部からUSD10(約1,110円)だった。

ディリの中心部から20分くらいタクシーで走ると、巨大なキリスト像が目に入ってきた。
道中は住居もほとんどない海岸線をひたすら走る具合だった。

タクシーではクリスト・レイの丘までは登れないため、炎天下の中を30分くらいかけて歩いた。
途中で水が売られているわけではないので、重いが2l持ってきておいて良かった。

目的のキリスト像に到着しても、それほど感動はなかった。
コルコバードの丘のキリスト像とどうしても比較してしまうということはあるが、そもそも想像よりもかなり小さいということが原因だと思われる。

ただ、景色はかなり良かった。
クリスト・レイの建っている場所は狭い半島状の先端であるため、両側が海に挟まれている。
来た西側はそれほどきれいではなかったが、東側は濃い青が美しい。

クリスト・レイから下って、東側の海辺に向かうことにした。
地元民が泳いでおり、日本人が珍しかったのか一緒に泳ごうというような誘われ方をした。
危険性は全く感じなかったが、水着で来ていたわけではないのでせっかくではあったが遠慮した。

行きに使ったタクシーが待ってくれていたので、往路と同じくUSD10(約1,110円)でディリ中心部に戻り、市内最大というTAISマーケットへ歩いて行った。

到着すると半数くらいの店が閉まっていた。
時間が悪かったのだろうか。

最大のマーケットとは言っても規模は非常に小さく、売っているものも画一的であまり面白くはな
かった。
ただ、客引きが全くないのは楽だった。

そのまま徒歩でレジスタンス博物館に行った。

写真撮影は不可だが、東ティモール独立に向けた苦難の歴史が写真とともに解説されている。

20世紀最初の独立国である東ティモールは、16世紀の西洋人による『発見』以降、ポルトガル・オランダ・日本・ポルトガルと、1970年代中盤に至るまで他国の支配を受け続けた。
ポルトガルが国内政情不安により東ティモール支配を放棄した後は隣国のインドネシアに併合された。
その際に独立を主張した東ティモール人が数万人単位でインドネシア軍に殺害されている。

また、1991年には独立派青年の葬儀が行われていたサンタクルス墓地での独立派集会にインドネシア軍が発砲したサンタクルス事件は、東ティモールの独立へ世論が大きく動いた契機として記憶に新しい。
これら一連の流れは、2代大統領スハルトの時代に起こったことである。
現代のティモールの子供たちの笑顔からはかけ離れた時代があった。

街のあちらこちらにも、独立の苦難を示すようなモニュメントが多くみられた。

夕刻に宿に戻り、シャワーを浴びているとお湯が出ないだけではなく水すらも止まりがちになる。
仕方なくトイレを流すための水を浴びて泡を流すが、桶にためてある水がとにかく臭い。

お湯が出ないことは慣れているが、水すら出ないのは非常に辛かった。
歯磨きの際にも水が止まってとても困った。

同室になった50代くらいの韓国人男性は『ビジネスを探しに来た』と言っているが、一体何をする気なのだろう。
ほとんど英語が通じなかったので、よく解らなかった。

 

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