アメリカ領サモア旅行記 (1) 入国難とアメリカン・サモア国立公園(2019年5月)

2019年4月~5月にかけて、奥さんと息子を連れてオーストラリア~サモア~アメリカ領サモアを周遊しました。
サモアからアメリカ領サモアは飛行機で30分強の距離であるため、比較的訪れやすい場所です。
しかし、訪問直前に入国の規則が変更され、トラブルに巻き込まれてしまいました。

【目次】
1. アメリカ領サモア基礎情報
2. アメリカ領サモアへ
3. アメリカ領サモア国立公園と周辺観光

1. アメリカ領サモア基礎情報

人口  :5.4万人
面積  :197平方キロ
首都    :パゴパゴ
公用語:英語、サモア語
時差  :UTC-11(日本から20時間マイナス)
通貨  :アメリカドル(USD)
レート  :USD1=JPY106.58(2019年8月2日時点)
ビザ    :日本人は観光目的でも事前の渡航認証が必要(2019年5月時点)

2. アメリカ領サモアへ

5月4日(土)はアメリカ領サモアに移動の日。
朝4時に起き、5時半にチェックアウトして前日のうちにレセプションでお願いしていたファガリィ空港までのタクシーに乗りこんだ。

WST5(約210円)と事前に聞いていたが、車中で荷物運搬代もWST5(約210円)も払えとのことで、合計WST10(約410円)を支払った。
少額でいさかいを起こして面倒になっても仕方がない。

サモアには空港が2つあり、それぞれファガリィ空港、ファレオロ空港と呼ばれる。
前者のファガリィ空港はサモアとアメリカ領サモアの間を結ぶ国際線の運航のみであり、アメリカ領サモア以外の国からサモアに入る場合は後者のファレオロ空港を使用する。
つまり、自身のような一般の旅行者はニュージーランドなどからファレオロ空港でサモアに入り、サモアからアメリカ領サモアに行く場合はファガリィ空港に行くルートとなる。

ファガリィ空港には10分ほどで到着した。
今までミクロネシアやポリネシアで非常に小さい国際空港をいくつか見てきたが、ファガリィ空港は突出していた。
おまけに、空港とは思えないほど暗い。

空港の入口からチェックインカウンターまで10mもなく、チェックインエリアが極端に狭いことに驚いた。
日本国内の空港で、クレジットカードで入ることができるラウンジくらいの広さしかない。
国際線とはいえ、サモアとアメリカ領サモア間のフライトのみだからなのだろう。

一応は国際線なので、7時半の出発に対して2時間くらい前には空港に来たのだが、結果としてそこまで早く来る必要は無かった。
誰もいないだけではなく、ベンチがあるだけのスペースなので時間の経過が感じにくい。

出発30分前の7時頃に、やっとチェックインが始まった。
乗客は機内持込の手荷物ごとカウンターの重量計に乗るよう指示され、乗客単位としての重さを量られた。

測量のあと、大きな問題が起きた。
2週間ほど前から事前のeTA(Electronic Travel Authority)、つまり電子渡航認証が必要になったらしい。

しかし、出国のカウンターで知った自分や家族が申請をしているわけもなく、Samoa Airwaysから搭乗拒否された。
こういった時はまずは情報収集だが、空港が小さすぎてWiFiが飛んでいるような環境でもなく、調べ物やアメリカ領サモアへの連絡などもできないために非常に困った。

日本に帰ってから調べてみると、厳密にはeTAというよりは搭乗許可が必要らしいが、アメリカ領サモアのサイトを見てもその旨は載っていない。
むしろ、Entry Permitが不要な国として挙げられている。
事後でさえも何が正解なのか解らないということが、当時空港でいかに困ったかということを浮き上がらせる。

そのうちに本来乗る予定だった7時半発の便が出発してしまった。
航空会社の係員に聞いてみると、次の便などへの振替は有償で可能なので、とにかく何とかして搭乗許可を得ろと言う。

次の便の乗客や迎えの現地人などで再び空港に人が増え出す中、我々が困った様子を見て他の一般客が助けてくれた。
2週間前に入国制度が変わったというのはあまりに不運で、知る由も無かっただろうということで、本当にありがたい。

アメリカ領サモアのホテルで働いている人のようで、我々が宿泊する予定のアメリカ領サモアのホテルに電話して、当局に搭乗許可を出してもらえるようお願いしてくれた。
同時に、航空会社に対してもアメリカ領サモアの当局に働きかけるようお願いもしてくれた。
航空会社の事務所に通され、日本語を少し話すことのできる陽気なボスの計らいでパスポートのコピーを取られたり書面を書いたりと、申請に必要な作業を大急ぎでこなした。

様々な方の手助けもあり、予定より2時間遅れにはなるが何とか9時半の便に乗れるタイミングで搭乗許可を得ることができた。
本来の7時半発便を9時半発便に振り替えるために1人あたりWST55(約2,260円)が必要だったが、その出費は安堵感の前にかき消された。
助けても何の見返りも無い一見の観光客を親身に助けてくれた方々にはいくら感謝してもしきれない。

薄い紙に手書きというラフな搭乗券とは裏腹に、搭乗許可の有無は厳密にチェックがされるので、本当に気をつけなければならない。
今回は2週間前という直前で変わってしまったという不運があったが、こういったことは他の国でも興りえるため、今後の良い教訓となった。

出国審査は幅1mくらいの廊下の曲がり角に立つ教壇のような場所で行われた。
監視カメラも無いような場所で、通常はとても出国審査を行うとは思えないような場所。
そこから先にある待合室もとても狭く、日本の鉄道駅のキオスク2個分くらいの広さしかなかった。

チェックインエリアの広さもそうだが、自分が今までに見た国際空港で最も狭いと言って差し支えないだろう。

9時半発の便に乗り込んだ。
内部は腰をかがめながら移動しないとならないほど天井も低い。

定員はわずか19人で満席になっており、1名も余剰がなかった。
急遽7時半の便から時間を変えざるをえなかったが、ぎりぎり我々3人分の席が空いていた幸運には感謝。

サモアの主島であるウポル島からアメリカ領サモアの主島であるトゥトゥイラ島までは、40分ほどのフライトで到着した。
西から東へ向かったことになるのだが、直線距離は200kmもなく非常に近い。

両国を移動すると、時差の観点で非常に面白いことが起こる。
サモアはUTC+13ゾーン、アメリカ領サモアはUTC-11ゾーンであるため、サモアからアメリカ領サモアへと東に進むと24時間、つまりきっかり1日だけ時間が遅れることになる。

今回の事例では5月4日(土)の9時半のフライトでサモアを発ち、40分後の現地時刻5月3日(金)の10時10分にアメリカ領サモアに到着ということになる。
アメリカ領サモアはアメリカ本土と日付を合わせるため、サモアが日付変更線の西側に位置しているのに対し、東側に位置しているためだ。

飛行機がアメリカ領サモアに、土砂降りの雨が降っていた。
ボーディングブリッジなどないため飛行機を降りる際に1人ずつ傘が渡され、その傘をさしながら逃げ込むようにターミナルへ小走りした。

アメリカ領サモアの入国審査自体は非常にスムーズで、サモアで搭乗許可を得ようと苦労したことに比べるとあまりに簡単で拍子抜けしてしまった。
1人あたり入国税USD20(約2,130円)を払うだけのような審査。

同乗の観光客は入国審査場の写真を撮っていたが、全く注意される気配が無い。
他もそうだが、太平洋の島国はそういたところに非常に寛容だと思う。
本来は、セキュリティ的にどうなのかということなのかもしれないが。

3. アメリカ領サモア国立公園と周辺観光

アメリカ領サモアに到着して空港の外に出られたのは良いが、非常に困ったことになった。
出国税3人分でUSD60(約6,390円)を払ってしまったためにドル現金がほとんどないのだが、空港にATMが見当たらない。
国際空港にATMが無いということは考えられないため係員に聞いてみたが、本当に無いようだ。

おまけに、本来はホテルに11時にプライベートツアーのピックアップが来るのだが、2時間遅れのフライトに乗ったために既に10時15分を回ってしまっている。
なお、プライベートツアーは事前にホテルに問い合わせた際に紹介してくれた業者でアレンジしてもらい、3人参加で2日間合計USD660(約70,340円)と非常に高価だった。

とりあえずは空港タクシーを捕まえて事情を説明し、ホテルまでの途中にATMがあればそこでおろすということも考えたが、そもそもタクシーも全く来ない。
更に土砂降りの雨も降っている。

ガラケーも圏外のためホテルに連絡もできず、万事休すの状況に陥った。
まさかアメリカ領で八方塞がりになるとは思わなかった。

手持ちはないものの、とりあえずはタクシーを捕まえないと動けないため、空港の庇でしばらく待っていたが、時間ばかりが経過する。
とうとう11時を回りツアーのピックアップ時間が来てしまったが、タクシーを待つほかなかった。

それでも辛抱強く待っていると1台の車が停まり、中から出てきた運転手が自分の名前を呼ぶ。
機転を利かせたツアー会社が、我々が空港で足止めされていることを予期して迎えに来てくれた。
全く動けずに困っていたため、本当に助かった。

アメリカ領サモアに来る前、サモアから搭乗トラブルの旨を現地人経由で連絡していたことが奏功したようだ。
色々な人のおかげで何とか当初の予定軌道に戻ることができ、ホテルに向かってチェックインを済ませた。

厚い雲が空を覆っているものの、その頃には雨も止んだ。

ツアーガイドの配慮でホテル併設のレストランで食事をする時間ももらえた。
フィッシュ&チップスでUSD12(約1,320円)と場所の割にはあまり高くなく、アメリカ領サモアの物価が垣間見えた。

昼食を終えると、家族3人でプライベートツアーの車に乗り込んだ。
最初の目的地はTram Wayで、山の中腹にあるロープウェイ跡だった。
中腹なので海や町を見下ろせる場所ではあるのだが曇り空のため、残念な眺め。

近くの慰霊碑は、ここでかつて発生した悲劇の記憶を留めている。
アメリカ軍の飛行機がロープウェイの鋼鉄線に接触して墜落、日本人1名を含めた乗員が亡くなったのだという。

1980年のことであるものの、その時点でこの不幸な事故に日本人が犠牲になっているという点に驚く。
現地人のガイドも、我々日本人と同じように慰霊碑に手を合わせてくれた。

続いて向かったAfono passは高台で、パゴパゴ湾を見下ろすことができる。
すぐ脇の山はアメリカ領サモアの分水嶺のような場所で、ここで霧が雨になって土壌に染み込み、島のあちこちに水を供給するのだそうだ。

Lower Sauma Ridgeを経由してVatia村に来た。
弓状にカーブを描いた湾と、湾沿いに走る道路と沿線の民家などからなる小さい村で、見どころらしい見どころはない。
平地の少ないアメリカ領サモアでは貴重な住居エリアらしいが、津波のたびに大きな被害が出るのだそうだ。

Fatu ma Futiは、結ばれなかったFatuとFutiという男女の悲恋伝承が残る岩。
結婚を希望していたが許されなかった彼らは、サモアのサバイイ島から船で漕ぎ出し、東にあるアメリカ領サモアのここトゥトゥイラ島を発見した。
しかし船が沈没し、亡くなった彼らが岩になったのだという。

おそらくこうした不幸な事故自体は本当にあったのだろう。
そして、この類の話で人間が岩になるという結末は世界中で普遍的に聞かれるように思う。

夕方にプライベートツアー1日目が終了し、ホテルまで戻ってくるとやっと青い空が見られた。

アメリカ領サモアの観光自体はいまいちだったが、そもそも朝の段階ではサモアからの移動に支障を期待している状況だった。
その意味で、様々な人の助けで来られただけでも感謝しなければならないだろう。

 

 

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