アメリカ領サモア旅行記 (2) アウヌウ島観光(2019年5月)

2019年4月~5月にかけて、奥さんと息子を連れてオーストラリア~サモア~アメリカ領サモアを周遊しました。
サモアからアメリカ領サモアへのフライトで搭乗トラブルがありましたが、周囲の助けで半日観光ができた翌日も半日観光にでかけました。

【目次】
1. アウヌウ島へのアクセス
2. タロイモ畑とビーチ
3. 村での食事と学校
4. サモア経由での帰国

1. アウヌウ島へのアクセス

5月4日(土)は観光ができる最後の日。
朝7時に起き、8時半にホテルまでピックアップしに来たガイドと合流した。
観光最終日にもかかわらず、昨日と同様に天気が悪い。

今日はメインであるトゥトゥイラ島を離れ、Aunu’u(アウヌウ)島まで観光に行く。
アウヌウ島はトゥトゥイラ島の南東に浮かぶ直径1kmほどの小さい島で、農業を営む島民が少数住んでいるらしい。

トゥトゥイラ島からアウヌウ島までは橋が通っているわけではないため、ボートで行かなくてはならない。
船着場でガイドに従ってボートに乗り込み、アウヌウ島まで向かった。
なお、ガイドは我々家族3人とガイドの合計4人分の運賃としてボートの船頭にUSD20(約2,160円)を支払っていたが、片道なのか往復なのかは判らない。

ボートに乗ること約10分でアウヌウ島に到着した。
アウヌウ島の船着場は閑散としており、犬が様子を見に来たくらいでほとんど人の住んでいる気配を感じない。
海も思ったほどきれいというわけではなかった。

2. タロイモ畑とビーチ

船から降りて少し歩き、アウヌウ島を案内してくれる現地住民のガイドと合流した。
アメリカ領サモアの公用語は英語とはいえ、このような離島ではローカルのサモア語の方が日常性は高いようで、訛りの強い英語を話す。

ガイドはまず、タロイモの畑へと連れて行ってくれるという。
蚊の多い藪の中を、ガイドと飼い犬3匹と一緒に歩いた。
あちこちに泥の水溜りがあり、そのたびに犬がはしゃいで全身を泥まみれにし、その状態で自分や家族にも擦り寄ってくるのは苦笑いだった。

20分ほど歩くと、タロイモの畑に着いた。
畑というよりはプールに近い状態で、大量の水が張られている。

恥ずかしい話だが、日本で食べている里芋が実はタロイモの一種だということを最近まで知らなかった。

続いて、ビーチまで案内された。
アウヌウ島の海岸線はほとんどが岩場であるため、砂浜までは意外と遠いらしい。

途中、ボートが陸地に打ち上げられていた。
自身の際に発生した津波でここまで運ばれてしまったものだ。

決して長い道のりではないのだが、浜辺までは景色がよく変わる。
低木の海岸線は歩きやすく、歩みも速くなる。

気温も湿度も高い割には途中で水分を売っているような環境ではないため、水は十分に持ってこないといけない。
持ってくる料が少し足りなかったので、頭痛がしてきて大変だった。

途中で汽水の湖も越えていくことになる。
海面よりは1mくらい高いはずなのだが、なぜか海水が混じっているようだ。
ガイドに聞くと、津波のたびに塩分が供給されるためとのこと。

30分ほど歩き、やっと浜辺に到着。
それほど期待値が高くはなかったのだが、残念ながらその期待値を満たしているとは言えないものだった。

奥の岩場が犬の顔に見えるというガイドの説明も虚しく聞こえてしまう。
5cmサイズ旧のヤドカリが多くいたので子供には良かったが、それだけと言えばそれだけ。

昨年2018年の盆に行ったクック諸島の海があまりに素晴らしかったので自身の判断基準が上がってしまっていることもあるが、それを差し引いても特段の見どころのようには思えなかった。

帰りは現地ガイドが4歳の息子を肩車してくれたので非常に助かった。
足元は岩場だったり泥だったりするので小さい子供を直接歩かせるのは難しく、行きは両親で代わる代わる抱っこしながら歩いていたが、復路はガイドが大部分を手伝ってくれた。

3. 村での食事と学校

村まで戻ると、昼食が用意されていた。
バナナのココナッツ煮に、タロイモのツナ和え。
皿は小さい子供が葉を編んで作ってくれた。

ココナッツがあまり好きではないのでバナナは少し厳しかったが、タロイモのツナ和えは驚くほど美味しかった。
日本で食べても美味しいと思えるのではないかというほどで、やっと思う存分水分が摂取できたこともあり、少し低めだったテンションが一気に回復した。

食後は、食事の用意をしてくれた島の子供と語らった。
彼らのほうがこちらに興味を持ち、年齢や仕事、住んでいる場所などを聞かれた。
子供同士ではサモア語で会話をしていたが、ガイドよりも自然な英語を話すために聞き取りやすい。

済んでいるのは日本だと話すと、日本の名前は知りながらも場所は知らなかった。
中国から海を挟んで向かい側にあるという説明をしたものの、それでも完全には理解されなかったように思う。
日本人がポリネシアの国々の地理に疎いようなものなのだろう。

続いて、アウヌウ島の学校に向かった。
小学校と中学校を兼ねているものの、今日は土曜日なので休みだという。
さすがの敷地の広さで、日本のように校庭の敷地がどこまでのような明確な区切りも無い。

それ以上の上級の学校は島に無いため、島外に通うことになるのだそうだ。

4時間ほどのアウヌウ島滞在を終え、島をあとにするために船着場に向かった。
船を待っている間、体格の立派なサモア人数名のグループに話しかけられた。

そのうち1人はアメリカのNational Hockey Leagueでプレイしていたプロらしい。
見る人が見れば判るのかもしれないが、自分は興味も知識も無いので全く判らない。

それでもまだ船が来ないため、ふと思った疑問を解消しようと考えた。
『サモア島の歌』が本当にサモア現地の歌なのか確かめるため、彼らの前で日本語で歌ってみると、非常に喜ばれた。
4歳の息子が幼稚園で習っただけではなく、自分自身にも幼少期から刷り込まれている『サモア島の歌』は、本当にサモアで歌われている曲だったのだ。

長年の潜在的疑問が解けたところで船に乗り、アウヌウ島からトゥトゥイラ島に帰った。

そこからガイドの車でホテルに戻り、荷物をピックアップして空港に向かった。
サモアからアメリカ領サモアに来た際には搭乗許可が必要だったが、逆ルートであるアメリカ領サモアからサモアに行く際には何ら問題はないはず。
その点を頭で理解しつつも不安はあり、無事にチェックインが終わると安堵できた。

4. サモア経由での帰国

アメリカ領サモアを出発し、サモアのファガリィ空港で入国手続きを済ませた。
アメリカ領サモアとサモアはちょうど24時間の時差があるため、日付は1日進んで5月5日(日)になる。

ファガリィ空港からは、タクシーでファレオロ空港を目指す。
タクシー料金はWST100(約4,410円)で、1時間半ほど要した。
その間、独特な運転手から『ニュージーランド人の妻とは離婚した』、『中国人の嫁が欲しい』などと同じ話を10ループくらい聞かされてとても疲れた。

ファレオロ空港からはニュージーランドのオークランドに向かった。
オークランドには翌日5月6日(月)の深夜に到着し、そのまま空港のベンチで仮眠をしながら翌日のシドニー行きを待った。

一度ニュージーランドへの入国をしなければならなかったため、待ち時間を制限エリアのラウンジで過ごせずに不便だったということもあるが、問題はオークランド空港のシステムダウンがあったことだ。
そのため、搭乗時に本人確認が書面と電話で逐一行われたために出発が2時間遅れてしまった。

シドニー着も遅れたためにシドニー発~関西着に乗ることができず、カンタス航空が取ってくれたホテルに滞在しながら予定よりも半日先の便を待つことになった。
その間、クレジットカードの保険で1人あたり20,000円までの食費が出るので、それを見越して普段食べないものを食べた。

代替便はシドニー~羽田のカンタス航空のフライト、羽田~成田は自己移動、成田~関空はジェットスターのフライトとなった。
そのため、ただでさえ半日ほど遅れているところシドニー~関空のダイレクト便でないという点が追い打ちをかけられた形。

予定外の長時間で疲れはしたが、昨年盆以来の家族旅行であったという点では楽しむことができた。

 

 

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