オーストラリア旅行記 (3) ウルル一周と夕日鑑賞(2019年4月)

2019年4月~5月にかけて、奥さんと息子を連れてオーストラリア~サモア~アメリカ領サモアを周遊しました。
午前にのカタ・ジュタ風の谷一周に続き、午後はウルルにやってきました。

【目次】
1. 閉鎖されていた登山道
2. ウルル・ベースウォーク
3. ウルルの夕日

1. 閉鎖されていた登山道

4月27日(土)、午前はカタ・ジュタの風の谷を一周した。
その後は一旦ホテルに戻り、午後のウルル行バスに乗る前に食事を取って午後の長時間歩行に備えた。

当初、Uluru Hop On Hop Offを予約した際にはカタ・ジュタ帰りに直接ウルルに行くバスがなく、必ずホテルに戻らないとならないということに対して時間がもったいないと感じていた。
しかし、実際に2時間以上カタ・ジュタを歩いた後になってみると、カタ・ジュタ後に食事も休憩も無しで直接ウルルに行くという需要は無いだろうと思った。

13時40分頃、ホテル前にウルル行きのバスが来た。
カタ・ジュタに行った際にも使ったUluru Hop On Hop Offのバス。

そこから40分ほどでウルルのMala Carparkに到着した。
ウルルの周辺にはUluru Hop On Hop Offのバス停がいくつかあるが、Mala Carparkは登山道のゲートの正面に当たる。

バスを降りて登山ゲートを確認すると、開いていなかった。
ゲートが開くには気温や天候、風などいくつかの条件があり、それらが全て揃わないとオープンにならない。
いずれも問題ないコンディションだと思っていたが、頂上付近の風が強いとの理由で閉ざされていた。

2019年10月26日以降、ウルル登山は全面禁止になることが決定している。
そのため、残念に感じた反面でアボリジニ アナング族の聖地に登るという歓迎されない行為をしないで済んだという安堵の気持ちもあった。
結果的に、登れなくて良かったと思う。

なお、登山が禁止される2019年10月26日は、1985年の同日にウルルがオーストラリア政府からアナング族に返還されてから34周年を迎える日になっている。

ウルルは、カタ・ジュタと比べると段違いに蝿が多い。
腹にも背中にも容赦なく止まり、水を飲むと口に入ってくるので注意が必要。
こんなに乾燥しているのに、どこで発生しているのか。

2. ウルル・ベースウォーク

Mala Carparkを起点に、反時計回りで一周することにした。
9.4kmと長めの距離であるため、奥さんと子供は序盤だけ一緒に歩く。
気温は高く乾燥もする行程は4歳児には無理なので、2人は途中で引き返して周囲を散策しながら待ってくれるという。

奥さんが本当に協力的なため、小さい子持ちの社会人になっても満足できる旅行ができているのだと思う。

シェルターと呼ばれる自然の庇までは家族3人でゆっくりと歩いた。
まるで大波が覆い被さらんとしている形状をした岩の内側には絵が描かれており、最も古いものは5000年ほど前のもの。
アナング族は文字をもたないため、神話や狩猟の様子などを岩絵で残したのだという。

ウルルは約6億年前に始まる原山脈の侵食と被侵食砂の堆積、その後の地殻変動によって形成された。
その過程でできた、洞窟やくぼみが多数見られる。

ウルルの周囲を徒歩で回るコースは9.4kmあり、舗装されていないこともあり全行程でおよそ2時間半。
その少し外側には一回り大きな舗装路もあり、セグウェイや自転車で回るツアーも催行されている。
歩きに自信がないのであれば選んでも良さそうだが、気に入った場所で写真を撮りながらゆっくり歩くなどはできなそうだ。

写真は、一周の行程で全ての場所で撮っても良いというわけではない。
ところどころが『Sensitive Area』とされ、撮影の自粛を促す看板が立つ。
北西部・北東部・南部に多く、看板に描かれた地図上でもグレーに塗られて観光客に注意を促している。

岩肌の一部造形がアナング族の神話と関連していたり、精霊が住む場所とされているため、そのような対応が取られているらしい。

西端部の登山口から時計回りに歩き、東端部クニヤ・ピティ(Kuniya piti)を経て南部に差し掛かる頃には開始から1時間半以上が経過していた。

途中に大口を開けたような岩があり、ドラえもん大長編の『のび太の大魔境』に出てくるオロロン岩を思い出した。
漫画中ではただの岩だが、1986年発売のファミコンソフト版ではボスに格上げされている。

ウルルのかつての名称であったエアーズ・ロックは、19世紀後半にオーストラリアを探検したウィリアム・ゴーズにより名づけられた。
当時はイギリスの植民地であったため、総督であったヘンリー・エアーズにちなんだものだ。
人名なので綴りも『Ayers』であり、決して気体や雰囲気を表す『Airs』ではない。

ムティトゥジュルの滝(Mutitjule Waterfall)の近辺にも、アナング族の岩絵が残っている。
岩絵は約5万年前から住むアナング族の神聖な場所に描かれ、約5万年ほど前から中には1万年前まで遡ることができるものもあるという。

18世紀後半にイギリス人探検家ジェームズ・クックがオーストラリア南東部に上陸して以降、アナング族らアボリジニは迫害の対象とされただけではなく、白人が持ち込んだ病気に晒されたことで人口が激減した。

その後も白人社会の浸透を狙い、アボリジニと白人の混血児を施設に強制収容して教育をするなどの政策が取られ『盗まれた世代』の問題として知られる。
2008年に当時のラッド首相が初めて公式謝罪したことで改めて広く認識された。

ウルルとカタ・ジュタはまとめて『Uluru-Kata Tjuta National Park(ウルル、カタ・ジュタ国立公園)』として世界遺産登録されている。
アナング族の物理的・精神的なよりどころになっていることから登録基準(ⅴ)伝統的集落や土地・海上利用または人類と環境の交流、登録基準(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの、の文化的側面だけではなく登録基準(ⅶ)優れた自然美、登録基準(ⅷ)地球の歴史の主要段階を示す見本、の登録基準も満たしている。

14時20分頃から開始した一周は、2時間20分でスタート地点であるMala Carparkに戻ってくることができた。
9.4kmの距離で標準が2時間半くらいとされているが、まさにその通りの時間だった。

午前にカタ・ジュタを一周7.4kmもした後だったので、その他も含めて合計20kmくらい歩いたことになるが、その割には疲れは大きくない。
都市部だと5kmも歩くと疲れてくるが、やはり自然を眺めながら歩くという効能は大きいのだろう。

奥さんと子供はMala Carpark近くの屋根つき休憩所で待っていてくれた。
2人で周辺を散歩したりしたようだが、オオトカゲを見て子供が喜んでいたらしい。

3. ウルルの夕日

再び家族3人になり、17時10分にMala Carparkを出発する最終のUluru Hop On Hop Offバスに乗った。
最終便のみ、サンセット・ビューイングポイント経由になるが、特別料金が発生しないという点が非常に良い。

30分ほどでサンセット・ビューイングポイントに到着し、駐車場に停まったバスから降りて徒歩で各々見やすい場所に移動する。
様々なツアーも利用する場所であり、そこかしこでワインや軽食を囲んで談笑する団体客が見られた。

この日の日没は18時20分、帰りのバス集合は18時40分。
天気があまり良くなかったが、それでもウルルが日没前に真っ赤に染まる様子を見ることができた。

サンセット・ビューイングポイントとはウルルの北西に位置しているため、方角も夕陽が射す方向になっている。
一方で、ウルルのサンライズ・ビューイングポイントはウルルの南東側。

夕日鑑賞を終えてバスに乗ると既に日没を終えていたものの、真っ赤に染まった雲が乗客を照らした。
もし個人レンタカーなどで時間の融通がきくのであれば、日没からしばらくいてもいいかもしれない。

19時にホテルに到着し、横のバーでピザやフライドポテトを食べて奥さんと子供が自身のウルル一周の間待ってくれていた事を感謝した。

 

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