世界遺産紹介 (16) モスタル旧市街の石橋と周辺

世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。

今回はモスタル旧市街の石橋と周辺です。
アジアとヨーロッパを繋ぐ、文字通り架け橋として知られる世界遺産で、ボスニア内戦で破壊されたものの復興されました。

【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー

1. 遺産の概要

遺産名 :Old Bridge Area of the Old City of Mostar(モスタル旧市街の石橋と周辺)
登録年 :2005年
保有国 :ボスニア・ヘルツェゴビナ
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの

2. 遺産までの行き方

成田などから、まずはトルコのイスタンブールなど主要な中継地まで行きます。
イスタンブールでなくても行くことができますが、方角的にほぼ直行に近いため、事例として採り上げます。

イスタンブールで乗り換え、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボまで飛びましょう。
2時間ほどのフライトです。

サラエボからは鉄道でモスタルに行くことができます。
十分に日帰りできる距離感です。

実際には、サラエボから行くよりはクロアチアのドブロヴニク旅行のオプションとして行くケースが多いのではないでしょうか。
ドブロヴニクからは多数の日帰りツアーが出ています。

3. ギャラリー

モスタル旧市街は、街を南北に流れるネレトヴァ川を挟むように東西に広がっています。
15世紀以降にこの地を支配したオスマン帝国のもとで発展し、既にその頃には木造の吊橋が架かっていました。
現在は石造りの橋が架かっており、橋の両端に立つ塔がモスタリ(守護者)と呼ばれたことが、街の名前の由来になっています。

ネレトヴァ川の両岸は土産屋などが立ち並ぶのどかな雰囲気です。
歴史的にヨーロッパの雰囲気が残る西岸では特に、19世紀以降のオーストリア・ハンガリー二重帝国時代の建造物が残っています。
東岸にオスマン帝国の余韻が残ることとは異なる趣です。

街の中心にある橋スターリ・モストは、16世紀なかばにオスマン帝国スレイマン1世の命により、それまで存在した木造吊橋から石造りに作り変えられました。
スレイマン1世はミマル・ハイルッディンに素晴らしい石橋の建設を命じ、当時唯一とされるシングルアーチの橋ができあがりました。

なお、ミマル・ハイルッディンの師であるミマル・スィナンは、同じくボスニア・ヘルツェゴビナにある橋の世界遺産メフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋を宰相メフメド・パシャの命で残しています。
そちらは11のアーチを持つ橋です。

橋からは飛び込みが行われ、観光客はその様子を楽しみながらチップを渡しています。
水面までの高さは約25mもあるため、空気抵抗を無視すると時速70km以上で水面に衝突することになるので、かなり熟練を要するのではないかと推測します。
今回はチップ目当てのパフォーマンスですが、毎年夏には正式な大会も開かれています。

橋の上から東岸を眺めると、モスクとミナレットが映えます。
オーストリア・ハンガリー二重帝国の影響が強い西に対し、東にはモスクなどオスマン帝国影響下の建築が多く残っています。
かつては、西岸に住むカトリック教徒クロアチア人と、東岸に住むイスラム教徒ボシュニク人は平和のうちに共存していました。

しかし、1990年代のボスニア紛争では民族間の対立が顕在化し、クロアチア人によって1993年に橋が爆破されました。
現在残っている橋は2004年に復興されたものです。

橋の復興は、物理的な往来を回復させるだけではなく、民族間の交流再開をも意味しています。
世界遺産の登録に際しては、民族共生の象徴としての意味合いも評価されました。

橋自身ももちろん見ごたえのあるものですが、背景を知ることで一層楽しむことができる遺産です。

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