リトアニア旅行記 (1) 夜明けの門から東回りでビリニュス観光(2019年7月)
2019年7月にバルト三国を周遊しました。
関空を深夜に出発する便で現地は3泊という短い日程でしたが、ある程度は行きたい場所を回ることはできたと思います。
3国の首都だけであれば、2泊4日の日程でも訪問可能です。
【目次】
1. リトアニア基礎情報
2. リトアニアへ
3. ビリニュス空港から円形城塞へ
4. ウジュピスとその周辺
1. リトアニア基礎情報
人口 :285万人
面積 :65,300平方キロ
首都 :ビリニュス
公用語:リトアニア語
時差 :UTC+2(日本から7時間マイナス) ※サマータイム時はUTC+3
通貨 :ユーロ(EUR)
レート:EUR1=JPY121.80(2019年7月13日時点)
ビザ :日本人は滞在日数が90日以内であればビザ不要(2019年7月時点)
2. リトアニアへ
7月12日(金)、いつも通り会社を終えてから京都駅に走って向かい、京都駅を19時10分に発車して関空に向かうバスに乗った。
今回はフィンランド航空でヘルシンキ経由のバルト三国の旅になる。
20時半頃に関空に到着し、プライオリティパスを使うために2階のぼてぢゅうへ向かった。
金曜の夜ということもあり、入店までは30分ほどの待ち時間。
最近の込みようからすると、比較的ましだったように思う。
注文はコンビネーションサラダ(税抜880円)、西成チューリップウィング(税抜590円)、ミックスモダン焼き(税抜1,380円)にトッピングのタコ追加(税抜250円)で、合計税込3,348円(税抜3,100円)。
10月から始まる10%の消費税では税込3,400円を超える組み合わせとなるため、金額上の最適解は新たに考え直さなくてはならなくなるだろう。
22時半過ぎにはラウンジ飛鳥に入ってくつろいでいたが、翌日深夜1時半発のフライトまで3時間ほどあるためか貸し切り状態だった。
食べ物が次々と補充され、自分はお腹いっぱいで食べられないと思ってると、フライト出発時間が近づくにつれて同じ便に乗ると思われる方々がラウンジ内に増えてきた。
日付が7月13日(土)に変わり1時間ほど経った頃に搭乗開始。
出発ゲートで止められ、運よくビジネスにインボラアップグレードしてもらえた。
経由地であるヘルシンキ着は早朝5時半くらいなので、きちんと寝られるのは非常にありがたい。
予定通り5時半過ぎにヘルシンキ空港に到着し、乗り継ぎで8時前にヘルシンキを発つ便でリトアニアの首都ビリニュスへと飛んだ。
北からエストニアとラトビアを縦断するため飛行時間は1時間半ほどで、9時半前にビリニュス空港に到着した。
3.ビリニュス空港から円形城塞へ
ビリニュス空港は小さいため、外に出るのにさして時間はかからない。
ビリニュスの市外も比較的近いようで、最も安いとされる鉄道で行ってみることにした。
空港から東に歩いて5分程度の位置に鉄道駅がある。
乗車賃はEUR0.70(約85円)と非常に良心的で、出発後に社内を回ってくる係員に直接支払う。
ビリニュス空港駅からビリニュス駅までは10分もかからなかった。
ビリニュス駅に到着し、まずは駅の北西側にあるバスターミナルに向かった。
ビリニュスの観光が早く終わればケルナヴェ遺跡に行こうと思っていたので、事前に時間などを調べておこうと思ったため。
しかし、ターミナルの窓口で聞いてもいまひとつ要領を得ない回答だったということと、そもそもビリニュスの観光自体も想定以上に時間がかかりそうだったので今回はケルナヴェ遺跡は諦めた。
それでも夕方にはビリニュスを発ってカウナスに向かうバスには乗らなければならないため、急いで市街地に向かう。
意図して行ったわけではないが、通りがかったKeule Rukeというバーの壁はガイドブックで見たトランプとプーチンの巨大なアートで覆われていた。
途中のHalle Market(ハレス市場)にも立ち寄った。
食品がメインであるために小腹が空いていた自身にはちょうど良く、パンと水を買っていった。
ハレス市場は20世紀初頭に建てられた、リトアニア最大級の市場らしい。
ハムなどの肉類や果物も多く扱われており、滞在日数が多い場合には利用価値がありそうだと思った。
自身の場合は夕方にはビリニュスを発ってしまうため、そのような生鮮系は眺めるだけにする。
ハレス市場からパンを食べながら歩くこと約5分で、旧市街の入口にある夜明けの門に到着。
ここから内側が多くの見所が密集する旧市街のエリアになる。
夜明けの門は16世紀初めのリトアニア大公国時代に造られたもので、レリーフの白い騎馬はリトアニア大公の紋章を表す。
当事のビリニュス市街域に設けられた門としては、現存する唯一のものだ。
ビリニュスは14世紀前半にトラカイから遷都され、16世紀中盤のポーランド・リトアニア共和国が成立するまで首都として繁栄した。
トラカイはビリニュスから近く、現在は城の観光で人気のある都市だが、今回は時間の都合で行くことはできず残念だった。
門をくぐって旧市街側から見ると、門の上部に礼拝堂が設けられている様子が見える。
17世紀にカルメル会が造った礼拝堂で、撮影は禁止ながら内部の聖母マリアのイコンは遠目にも目立って見ることができた。
パレスチナにある山の名前に因んだ修道会であるカルメル会は、会則の緩急によって16世紀には履足派と跣足派に分離した。
跣足は裸足を表し、スペインの世界遺産であるアビラは跣足派の聖テレサの生まれ故郷として知られている。
続いて、精霊教会へと向かった。
旧市街の中で、夜明けの門から最も近い部類に入る。
淡いピンク色が目立つ外壁とは異なり、内部は様々な色で溢れていた。
精霊教会はロシア正教の教会ながらもバルト三国の中で最もカトリックが多いというリトアニアの土地柄なのか、教会が建てられた17世紀当時のバロック様式の影響が強くロシア正教らしいたまねぎドームは見られない。
内部は14世紀中盤に殉職した3人の聖人ユスタティウス、アンソニー、ジョンを祀っている。
安置された聖人の遺体は、病気の治癒をすると信じられているそうだ。
精霊教会から円形城塞までは徒歩で5分ほど。
本来は精霊教会近くの聖三位一体教会に行くべきだったのだろうが、完全に失念してしまい、円形城塞に着いてから改めて地図を見て思い出した。
円形城塞は17世紀初頭にビリニュス防衛のために築かれた砦だが、17世紀中盤に起きた北方戦争でポーランド・リトアニア共和国がスウェーデンと戦った際に損壊した。
近代戦争においては2回の世界大戦でも城塞として使われたが、現在は博物館となっている。
円形城塞の東側に広がるBastion Hillは高台になっている。
そのため、ビリニュス市外を眺めるのには良かった。
4. ウジュピスとその周辺
円形城塞からBastion Hillを通り、ヴィルネ川沿いに北上する。
途中でウジュピスへ向かう橋があるが、後で再び来るとしてまずはロシア正教教会を訪れた。
内部は観光という観点では特筆するようなことは無いように感じ。
コーカサス地方で見られる正教会のような外観だが、そうなっている理由は残念ながら本などで調べても解らなかった。
ロシア正教教会から少し北上すると聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会がある。
これらの教会は、リトアニア旅行のパンフレットなどでもよく見られる。
聖アンナ教会はカトリック教会であり、15世紀末に建造された。
火焔に由来するフランボワイヤン様式の影響を受けたゴシック建築であり、ナポレオン・ボナパルトが1812年にロマノフ朝遠征へと向かう途上で目にしたとされている。
妻であるマリ・ルイーズに宛てた手紙の中で、パリに持ち帰りたいと書いたほど気に入ったという逸話が残る。
聖アンナ教会の南側に建つ聖フランシスコ・聖ベルナルド教会もカトリック教会で、聖アンナ教会とほぼ同時期の16世紀初頭に建てられた。
ロマノフ朝時代には反ロシア派の拠点としても使われたために閉鎖され、ソビエト時代には倉庫や芸術アカデミーとして使われるなど、近代においては教会以外の用途で使われることが多かったという。
聖フランシスコ・聖ベルナルド教会から南下し、ウジュピス入口へと戻ってきた。
南北に流れる川に架かる橋を東へ渡ると、ウジュピスへ入る。
ウジュピスは、その名がリトアニア語で『川の向こう側』を現す通り、西半分の円弧をヴィルネ川に囲まれたようなエリアになっている。
1997年にリトアニアからの独立を宣言したことで知られるが国際的に認められたものではなく、あくまでビリニュスの一区画として扱われている。
ウジュピスは独自の憲法を制定しているが、猫について『飼主を助ける義務はあるが、愛する義務はない』などユニークなものだ。
独立記念日もエイプリルフールと重なる4月1日であり、パスポートの確認も行われるらしい。
ウジュピスに入り、現地のコンビニエンスストアであるIKIに入った。
ヘルシンキからビリニュスまでの便に乗ってから何も口にしていないため、何か買いたいと思ったため。
パンは1つで約EUR0.70(約85円)、水は2リットルで約EUR1(約120円)。
日本人の感覚からするとパンはやや安く、水は少し高いくらいだろうか。
時間はちょうど昼ころなので、買ったパンを食べられそうな場所として近くの広場に向かった。
天使を柱頭に掲げた柱が立っている。
ウジュピスの『独立』から5年を記念したモニュメントらしい。
ウジュピス観光を終え、ヴィルネ川東岸のハイライトである3つの十字架の丘に向かうために北へと歩みを進めた。
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