アゼルバイジャン旅行記 ゴブスタン岩絵群とバクー(2018年4〜5月)

2018年のGWは、ジョージア(グルジア)~アルメニア~ウクライナ~ベラルーシ~アゼルバイジャンを旅行しました。
それぞれの国ごとに訪問場所をご紹介します。

前回のベラルーシに続き、今回はアゼルバイジャンです。
コーカサス3国で唯一カスピ海に面するアゼルバイジャンの首都バクーは、世界で最も早く商業油田の開発がされ、ノーベル賞で知られるアルフレッド・ノーベルは19世紀後半にノーベル石油会社を設立しました。
コーカサスのドバイとして、今後の発展が期待される国です。

【目次】
1.  アゼルバイジャン基礎情報
2.  アゼルバイジャンへ
3.  ゴブスタン
4.  バクー

1.  アゼルバイジャン基礎情報

人口 :975万人
面積 :86,600平方キロ
首都    :バクー
公用語:アゼルバイジャン語
時差 :UTC+4(日本から5時間マイナス)
通貨 :マナト(AZN)
レート:AZN1=JPY65.04(2018年6月29日時点)
ビザ   :日本人はバクー空港で無料でアライバルビザが取得可能(2018年6月時点)

2.  アゼルバイジャンへ

5月3日(木)のウクライナ国際航空便のミンスク発キエフ行きとキエフ発バクー行きを乗り継いでバクー空港に到着したのは5月4日(金)の深夜1時過ぎだった。
バクーではアライバルビザを取らなければならないが、数ある国毎の料金表の中で日本人とトルコ人だけが無料。

空港からバクー旧市街は約30km。
AZN1.5(約100円)くらいでバスもあったのだが、バスの終点が宿から歩いて5kmくらいあるのと、既に深夜1時を大きく過ぎていたことからタクシーにした。
深夜で足元を見られたせいもあり、複数のドライバーの見積金額を以て交渉してもAZN40以下にはならず。
疲れたので、その金額で旧市街の宿まで行き、就寝した。

3.  ゴブスタン

翌朝は5月4日(金)の8時にドライバーに迎えに来てもらい、ゴブスタンへ。
途中、といっても若干遠回りになるのだが、地中からガスが噴き出す小規模な泥プールに立ち寄った。

その後、9時から開館するゴブスタン・ロックアート博物館に向かった。
バクーからは南西に約60kmの場所にあり、『Gobustan Rock Art Cultural Landscape(ゴブスタン・ロック・アートの文化的景観)』として世界遺産委登録されている。

博物館では、スペインのアルタミラやフランスのラスコーといった有名な岩絵との比較だけではなく、マラウィのチョンゴニやナミビアのトゥウェイフルフォンテーン(ツウィツァウス)などあまり知られていないであろう岩絵との比較もなされていた点が非常に良かった。

博物館の外では実際の岩絵群を見ることができ、世界遺産としては、かつてこの一帯が温暖湿潤であった時代に採集狩猟生活が行われていた証拠であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、の登録基準を満たしている。

岩絵は60万点を超えるとされ、一般が見られるエリアは6,000点となっている。
最終氷河期以降4,000年間の旧石器時代後期から中世までの時代わたって描かれたもの。
牛・馬などの動物、小舟・戦士などの人間に加え、中世になるとイスラム的モチーフも描かれるようになってきたという。

4.  バクー

ゴブスタンからバクーに戻る途中、郊外に残る世界最古の商業油田の跡に立ち寄った。
19世紀後半のものであり、19世紀中盤にロシアによる油田の国有化が廃されたのちに欧米資本の流入で開発されたもの。
石油自体はそれよりずっと早くから知られていたものではあるが、商業化されたのは意外に最近ということになる。

バクーに戻り、旧市街の散策に出た。
シルクロードの中継地点であったバクーは、ササン朝ペルシャの影響を脱したのち9世紀頃からその様子が記録にも残り、12世紀にはシルヴァンジャー朝の首都として栄えた。

旧市街は城壁に囲まれたエリア(イチェリ・シェヘル)に広がり、12世紀頃に建てられた乙女の塔はそのシンボルとなっている。
望まない結婚を強要された王女が、当時はこのあたりまで入り組んでいた海に身を投げたことが名前の由来とされているが、ゾロアスター教の寺院が起源だったらしい。

バクー旧市街から南西方向に1kmほど歩いた高台には殉教者の小道と呼ばれる墓地が広がっている。
1990年のソヴィエト侵攻など、バクーにおける政治的な動乱による犠牲者が葬られた。
近くには高さ190mのフレイムタワーがそびえ、モスクとの対比は印象的。

殉教者の小道の高台からはカスピ海とバクーの街が一望できる。
完成時高さ1,050mのアゼルバイジャンタワーも着工され、多数の人工島の計画もあることが『第二のドバイ』と呼ばれるゆえんだ。
アゼルバイジャンタワーは、2018年6月末時点で完成している世界で最も高い建造物ブルジュ・ハリファの828mや、現在サウジアラビアのジッダで建設中のキングダムタワーの1,008mを凌ぎ、完成時には世界一の高さになる予定。

殉教者の小道から20分ほど下ってバクー旧市街に戻った。
入り組んだ旧市街の西側には、15世紀に建てられたシルヴァンジャー宮殿が建つ。
行くまでの道が細く曲がりくねるだけでなく、ところどころ行き止まりなので、思いのほかアクセスが難しかった。

シルヴァンジャー宮殿は、16世紀から17世紀にかけてサファヴィー朝の攻撃により破壊されたが、後に修復された。

シルヴァンジャー宮殿やその遺構を含めたバクー旧市街は『Walled City of Baku with the Shirvanshah’s Palace and Maiden Tower(シルヴァンジャー宮殿と乙女の塔のある城塞都市バクー)』として世界遺産に登録されている。
ゾロアスター・ササン朝・アラブ・シルヴァンジャー朝・オスマン帝国・ロシアの影響を受けた代表的かつ貴重な建造物群であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、が認められている。

翌日5月5日(土)は、早朝からバクー空港。
朝6時20分のバクー発便のため、4時過ぎくらいに空港に着いた。
空港は一般的なイメージと異なり近代的で新しいもので、各種ラウンジは全て2階に集中している。
スターアライアンスで使えるラウンジとプライオリティパスで使えるラウンジをはしごしようとしたが、後者はまだ開いていなかった。

その後、バクー発イスタンブール行き、イスタンブール発シンガポール行き、シンガポール発成田行きを乗り継いで日本に戻った。

 

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