ベトナム旅行記 (2) ダナンからフエへの行き方と観光(2018年6月)

2018年6月に、2泊3日のベトナム旅行に行きました。

前回はダナン南方にある日帰りできる2つの世界遺産ミーソンとホイアンを訪れました。
引き続き、今回は北の世界遺産フエをご紹介します。

【目次】
1.  フエへ
2.  フエの王宮
3.  フエ市内

1.  フエへ

6月17日(土)の朝7時頃、宿から歩いて5分くらいのハン市場に向かった。

何らか食べるものを買うため。

ダナンは海辺の街だけあって、魚介類が多く取り扱われている。

肉類も色々あるが、買わずに眺めるだけ。

結局はスナック菓子とコーラを買って部屋で食べ、朝8時に迎えに来たチャーターの車に乗った。
前日に乗ったメータータクシーの親類がチャータータクシーを出してくれる話に対し、VND1,500,000(約7,250円)で折り合ったため。

ダナンからフエまでは約130kmの道のり。
最初の30分くらいはワイキキのような雰囲気の海辺を走るが、じきに雰囲気も変わりビル群がなくなる中を走った。

2.  フエの王宮

計2時間ほど走り、フエの王宮に着いた。

王宮入口のチケット売り場ではVND150,000(約750円)を支払う。

フエの王宮は、1802年から1945年に栄えたベトナム最後の王朝であるグエン朝の王宮。
グエン朝は南北ベトナムを初めて統一し、清に朝貢していた。
そのため、フエの王宮は北京の故宮博物院の影響を大きく受け、故宮の3/4スケールで造られている。

午門は王宮の正門で入場券の写真にも使われている。
十二支の方角表現で0時方向を表す子に続いて午は7番目なので、6時方向の真南を表す。
午門には5つの入り口があり、北京の故宮と同じく中央の入り口は皇帝しか使用が許されなかった。

午門から中に入ると、遠くに太和殿が見える。
グエン朝初代のザーロン帝が建てたものだがベトナム戦争時の1968年に大きく損傷を受け、のちに修復された。
北京の故宮の太和殿と同じく、最も南に位置する主要な建物であり、祭礼に使われた。
皇后も含め、完全に女人禁制であったという。

太和殿の北には庭が広がり、右廡・左廡と呼ばれる建造物がそれぞれ左右に建っている。

右廡はもともと武官が使用していた建物。
現在はフエの歴史や王宮内で使用されていた楽器などの展示が行われていた。
特に、歴史展示の方は当時の周辺の勢力図もあり、目視的に非常に解りやすい。

反対側の左廡はもともと文官が使用していた建物。
現在はグエン朝時代の衣装を着て記念撮影をする場所に改装されている。

宮廷の中庭は屋根付きの廊下で囲まれていた。
ユネスコの無形文化遺産でもある伝統舞踊ニャー・ニャックが行われる閲是堂などにも、雨に濡れずに近くまで行くことができる。

北京の故宮の3/4スケールとは言うものの、建造物自体は決して多くない。
また、歩いているとそこまでの大きさも感じない。

王宮の北端には巨大な竜の金印。
一帯は紫禁城と呼ばれる独立した領域で皇帝が政務を執る場所や寝所だった。
20世紀半ばのフランスとの交戦で焼失し、今は面影のみが残る。

その他の主な建物としては各皇帝に対応した鼎が置かれた顕臨閣、グエン朝初代ザーロン帝の母親が住んだ延寿宮、歴代行程の位牌が並ぶ世廟などがある。

1時間半ほどフエの王宮を巡り、ドライバーが待っている駐車場に戻った。
周辺で水を買うと市価の倍くらいの1リットルVND20.000(約95円)を言われたので次の場所まで我慢。

3.  フエ市内

フエの王宮から川沿いに5kmほど走ってティエンムー寺に着く。

寺のすぐ前にはフォーン川が流れている。

テイエンムー寺は17世紀初頭に建てられ、階段を上るとグエン朝3代ティエウティ帝が建てたトゥニャン塔が出迎える。

ティエンムー寺の僧侶であったティック・クアン・ドックが生きた20世紀中盤、フエは南ベトナムの一部だった。
当時の政権は少数派であった仏教を弾圧したため、1963年にティック・クアン・ドックはサイゴン(現在のホーチミン)まで車で行き、アメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身供養を行った。
その際に使われた車や焼け残った心臓の写真もここに置かれている。

寺の高台から見るフォーン川は美しく、ボートの呼び込みもされていた。
時間が無いので断ったが、ホイアンとは違って水が臭わないので、時間が有れば乗ってもいいかもしれない。

続いて、フォーン川沿いを南下してミンマン帝陵に向かった。

ティエンムー寺からは15kmほど南下した場所にある。

入場料VND100,000(約480円)を払おうとするが、受付に人の姿が無い。
近づいてみると、係員が昼寝中だった。
起こすのも悪いので、受付前をふらふらしていたら別の係員が来て起こしてくれた。

グエン朝2代ミンマン帝は初代ザーロン帝の4男で、キリスト教に対して弾圧を加える一方、国号を大南に改めるなど清との関係性を重んじた。
その思想は、1840年から建設が始まったこれら中国風の廟にもよく表れている。

ミンマン帝の時代にグエン朝は最盛期を迎えたという。
南部・北部の地方軍管区制を廃止し、科挙に殿試を加え、官制の改革による中央集権化を進めるなどの様々な改革が進められた。
それらの業績は碑文に刻まれ、現代にも残っている。

最深部には墓所が残っている。
これらの廟やフエの王宮は『Complex of Hué Monuments(フエの歴史的建造物群)』として世界遺産に登録されている。
東アジアの封建的都市の顕著な事例であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観が認められている。

ミンマン帝廟の見学を終えてドライバーと合流し、車に乗るとほどなくして寝入ってしまい、気が付くと2時間近く経過してダナンに戻ってきていた。
カイディン帝廟やトゥドゥック帝廟にも行くようにお願いしていたにもかかわらず、ドライバー曰く、僕が寝てしまったのでダナンに戻ってきたという。

多少の文句は言ったが、最終的には回ってほしい場所を紙で書いて渡すという原則ができていなかった自分の問題でもあるので、揉めるのはやめた。
今回はVND1,500,000(約7,200円)での1日チャーターだったが、参考としてつけていたタクシーメーターは約VND2,750,000(約12,600円)を指していた。
本来周っていたあと2~3か所を加えると、チャーター代はメーターの半額くらいにはなったのだと思う。

 

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