世界遺産紹介 (12) チチェン・イツァの古代都市

世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。

今回はチチェン・イツァの古代都市です。
マヤ文明を代表する遺跡で、メキシコのリゾート地カンクンからアクセスしやすい場所にあります。

【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー

1. 遺産の概要

遺産名 :Pre-Hispanic City of Chichen-Itza(チチェン・イツァの古代都市)
登録年 :1988年
保有国 :メキシコ
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅰ)人類の傑作、(ⅱ)価値観の交流、(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠

2 遺産までの行き方

成田からメキシコシティまで直行便が運行されています。
半日程度要しますが、日本からメキシコへの唯一の直行便です。

メキシコシティからカンクンまではメキシコ国内線で約2時間の距離です。
なお、日本からヒューストンなどアメリカの主要都市まで向かい、そこからカンクンへ国内線で向かうというルートも取れます。

カンクンからチチェン・イツァまではバスで行くことも可能ですが、本数が極端に少なく、時間もかかります。
片道2時間程度で多くのツアーが催行されているため、ツアーに参加してしまうことがお勧めです。
その場合、グランセノーテなどもセットでまとめて行くことが容易にできます。

3. ギャラリー

チチェン・イツァの起源は、『魔術師』を意味するイツァ族によって築かれた都市だとされています。
7世紀には一旦放棄されたものの、10世紀に再びイツァ族により再興されます。
再興の前後で旧チチェンと新チチェンへ大まかな時代が分けられます。
チチェンはマヤ語で『泉の畔』を意味する言葉です。

チチェン・イツァで最も有名な建造物が、マヤのピラミッドとして知られるエル・カスティーリョでしょう。
新チチェンに残るこの神殿は、四面各面の91段の階段に頂上の基壇1段を合わせると合計365段で、1年の日数を表すものです。
スペイン人は『城塞』を意味する名づけをしたものの、実際にはマヤの神であるククルカンを祀る神殿とされます。

ユカタン半島を中心としたマヤ文明圏ではククルカンと呼ばれますが、一方でメキシコ中央部に栄えたアステカ文明圏ではケツァルコアトルと呼ばれます。
ケツァルコアトルが時代的には早く成立し、後にマヤ文明に伝わったようです。
羽の生えた蛇のような姿で描かれ、人間に文明を与えたとされています。

1年のうち、春分の日と秋分の日にはピラミッド斜面が階段の手すりにつくる陰がまるでククルカンの胴体のごとく見えます。
観光客も多く押し寄せ、中継もされるのでご覧になった方もおられるのではないでしょうか。

近くの球戯場では、壁の高い位置から出っ張った円形の輪が見られます。
手を使わずに、この輪にゴムボールを通す競技が豊穣を願って行われたのです。
輪はかなり高い位置にある上に非常に狭いため、手を使ってすら簡単に通せるものではないように思えました。

球戯場の壁面には、競技の様子を表したレリーフが残っています。
勝者は斬首され、神の元へと旅立ったのです。
首の切断面からあふれ出る鮮血がククルカンを表象するがごとく蛇のように描かれていることは、斬首された側が栄誉ある勝者であることを表しています。

近くの路上で売られている土産物には球戯の様子が判る彫り物も売られていますが、大きいので買って帰るには不向きです。
通常の人身御供の儀式のものもあり、体を青く塗られた生贄の奴隷が胸を切り裂かれて心臓を取り出される場面を表しています。
心臓や血は、チャックモールに
太陽に活力をもたらし続けるために、心臓や血が必要だと考えられていたのです。

旧チチェンに残るカラコルはスペイン語で『カタツムリ』を意味し、10世紀前半に建てられました。
内部の螺旋階段が、その名の由来となっています。
春分・夏至・秋分・冬至が判る天体観測所の役割を果たしていた場所でした。

カラコル奥の仮面の神殿では、チャック神信仰の跡が見られます。
長い鼻が特徴なチャック神は雨の神として旧チチェン時代には盛んに信仰の対象となったようですが、新チチェン時代への変化は信仰対象もククルカンに変化させました。

カンクンから日帰りで安いツアーが多く出ています。
リゾートだけでなく、気分を変えた1日を過ごすことができます。

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