世界遺産紹介 (14) タージ・マハル

世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。

今回はタージ・マハルです。
インドを代表する建造物の一つで、首都デリーから鉄道で行きやすい点が魅力です。

【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー

1. 遺産の概要

遺産名 :Taj Mahal(タージ・マハル)
登録年 :1983年
保有国 :インド
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅰ)人類の傑作

2. 遺産までの行き方

成田や関空からインドの首都デリーまで飛行機で向かいます。

街中のニュー・デリー(New Delhi)駅からアグラ・キャント(Agra Cantt)駅までは鉄道が出ています。
近くはありませんが3時間もかかりませんので、デリーからの日帰りは十分可能です。

アグラ・キャント駅からは徒歩1時間程度の距離です。
駅前にたくさんのリキシャが客待ちをしているため、値段交渉してからリキシャに乗る方がいいでしょう。

なお、デリーからは様々なツアーが出ています。
ツアーなどのバスで直接タージ・マハルにアクセスすると3時間ほどです。

3. ギャラリー

タージ・マハルの入口では、赤砂岩でできた南門に迎えられます。
有名な白亜の廟本体の完成5年前である1648年に完成したものです。
上部のドーム状の装飾はチャトリと呼ばれ、サンスクリット語で『傘』を表します。

タージ・マハルは1632年から1653年にかけて建てられました。
ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが皇妃ムムターズ・マハルの死を悼んで造った廟です。
タージ・マハルという名前は、ムムターズ・マハルが訛ったものだとされています。

シャー・ジャハーンに深く愛されていたムムターズ・マハルは、遠征にも常に同行していました。
内乱鎮圧の遠征の中で14人目の子供を出産したムムターズ・マハルは産褥熱で亡くなり、深く悲しんだシャー・ジャハーンは国民に2年間喪に服すことを命じたと言われます。
37歳という若さでムムターズ・マハルが亡くなってから1年後、遠征から帰ったシャー・ジャハーンはタージマハルの建設を始めました。

白大理石はタージ・マハルの大きな特徴です。
一方で大理石は炭酸カルシウムを多く含むために酸性雨に弱く、2018年末頃まで大規模な補修が行われていました。

13世紀初頭、アイバクによる奴隷王朝の創始がインドのイスラム化の始まりとされています。
16世紀前半まで続く、いわゆるデリー・スルタン朝の時代には主にトルコ系の王朝が続き、その間にイスラムとインドの伝統的な建築が融合していったのです。
インド・イスラム建築が本格的に花開いたのは、ティムールの子孫バーブルに始まるムガル帝国の時代でした。

イスラム化したペルシャがタージ・マハルに与えた影響の代表例が、その巨大なドームです。
ドーム内部はほぼ空洞の二重構造になっており、ドームの底が作る廟の天井は、八角形の廟の高さとそれほど変わりません。

庭園にもペルシャの影響が見られます。
チャハル・バーグ(四分庭園)は紀元前6世紀に興ったアケメネス朝ペルシャの首都パサルガダエに見られ、4つの川で仕切られた4つの小庭園がエデンの園を模していると考えられました。
インド・イスラム建築の先鋒とされるデリーのフマユーン廟は廟を中心に四分庭園が広がっていますが、タージ・マハルでは中央の池を中心に庭園が広がり、廟はその奥に配置されています。

タージ・マハル廟の両側にはそれぞれ、モスクと迎賓館が置かれました。
ドームはタージ・マハル廟と同じく大理石ですが、本体は赤砂岩でできています。

それぞれの入口は中央にあるタージ・マハル廟を向いているため、西側のモスクは入口から奥がメッカの方向を向いています。
しかし、東側の迎賓館は入口から向かって奥が東側を向きメッカとは反対方向となるため、モスクとしては使われませんでした。

外壁の大きな窪みイーワーンもペルシャの影響です。
また、外壁にはコーランがアラビア文字で記されており、トルコ石やサファイア等の宝石で象嵌が施されています。
そのために国内だけでなく、遠くヨーロッパやペルシャから職人が呼ばれました。

もともとヒンドゥーの輪廻転生が根付くインドでは墓を建てる文化がありませんでした。
イスラム文化のインドへの流入はタージ・マハルの建築様式だけでなく、その存在自体にも影響を与えていたわけです。

タージ・マハル廟を囲むように4本の塔が立っています。
屋根のチャトリがインド建築様式の名残を残しますが、装飾があるわけでもなく非常にシンプルです。
そこが逆にタージ・マハル廟本体の壮麗さを際立たせる結果となっています。

その美しさから、建設後にシャー・ジャハーンは工匠の腕を切り落とす『褒章』を与えたといいます。
タージ・マハルがあまりに美しく、2つとない建造物であることを一層引き立てる話ではありますが、実話ではないようです。

タージ・マハルから近い世界遺産アグラ城からはタージ・マハルが一望できます。
ムガル帝国の最盛期を現出し、タージ・マハルの建設にも力を注いだシャー・ジャハーンですが、晩年は三男の6代皇帝アウラングゼーブによりアグラ城に幽閉され、遠くのタージ・マハルを眺めて暮らす日々だったといいます。

対岸に黒大理石で自身の廟を築くという夢もついえ失意の中で亡くなったシャー・ジャハーンの棺は、アウラングゼーブによってタージ・マハルのムムターズ・マハルの棺の横に置かれ、タージ・マハルの均整の取れた左右対称を唯一破る場所となりました。
ムガル帝国はイスラム化した支配層が圧倒的多数派であるヒンドゥー民を支配する構造だったため、シャー・ジャハーン含めた歴代の皇帝は宗教的に寛容な政策を取ってきたのですが、敬虔なイスラム教徒であったアウラングゼーブにはそれが許せず、こうした形でその思いが表れたのだと思います。

タージ・マハルからはアグラ城も近く、両方見てもデリーから日帰りで行くことができます。

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