世界遺産紹介 (18) イスタンブールの歴史地区

世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。

今回はイスタンブールの歴史地区です。
ボスフォラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパを分かつイスタンブールは、ローマやオスマン帝国といった世界史上の大帝国の歴史舞台になりました。

【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー

1. 遺産の概要

遺産名 :Historic Areas of Istanbul(イスタンブールの歴史地区)
登録年 :1985年
保有国 :トルコ
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅰ)人類の傑作、(ⅱ)価値観の交流、(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観

2. 遺産までの行き方

日本からの直行便として、成田発の便が唯一のものです。
約12時間かけてイスタンブールへ直接向かうことができます。

その他の国内主要都市からは、ドバイ経由などが選択肢になると思います。

3. ギャラリー

イスタンブールは、北の黒海から南のマルマラ海へと続くボスフォラス海峡によって東西に分断されています。
西側のヨーロッパサイドと東側のアジアサイドに分かれ、空港や旧市街の見どころや西側のヨーロッパサイドに集中しています。

ヨーロッパサイドの旧市街は海に突き出た半島状で、東から西にかけて入り込んだ金角湾を挟んで南が旧市街、北が新市街です。
新市街に立つガラタ島からは手前に水平に横たわる金角湾、手前から奥にかけて伸びるボスフォラス海峡を見渡すことができ、イスタンブール旧市街が海に囲まれた防御力の高い街であったことが理解できます。

1453年、オスマン帝国のメフメト2世は東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を攻めていました。
コンスタンティノープル南のマルマラ海や東のボスフォラス海峡は、東ローマ帝国と組んだ海洋都市ジェノヴァなどの船が守りを固めており、北の金角湾は鎖で封鎖され、海上からの突破はできない状況でした。

この鎖は、ジェノヴァ人居住区があったガラタ塔周辺から旧市街間に向けて海上に張られたものです。
この鎖を突破して金角湾に船で侵入するため、メフメト2世は懐胎した船を新市外側から陸で運び、金角湾で組み立てて侵入に成功しました。

なお、メフメト2世によるコンスタンティノープル陥落に遡ること300年以上前の13世紀初頭、ヴェネツィア商人に扇動された第4回十字軍がコンスタンティノープルを攻略した際、突破口としたのもこの金角湾でした。

旧市街で最も有名な建築物がブルーモスクでしょう。
17世紀初頭のアフメト1世の時代に建造され、正式にはスルタン・アフメト・モスクと呼ばれます。
ミナレットを6本持つだけではなく、美しい内装の青タイルが特徴的であるためにブルーモスクと呼ばれているのです。

なお、ブルーモスクの前に広がる戦車競技場ヒッポドロームに立つオベリスクは、エジプトのカルナック神殿から運ばれたものです。

ブルーモスクの北東に建っているのはアヤ・ソフィアです。
4世紀に建造された木造キリスト教会を起源とし、以降は破壊と再建が繰り返され、6世紀には東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝によ再建され、現在残るアヤソフィアの原型が作られました。
その後も地震等でドームは何度か崩落していますが、その他の基本構造は原型を留めているとされます。

1543年にメフメト2世がコンスタンティノープルを攻略する前夜、東ローマ皇帝コンスタンティヌス11世とその臣下、聖職者などはここに集まり、祈りを捧げていたといいます。
コンスタンティノープル陥落後、メフメト2世はアヤソフィアをモスクへ転用することを決め、以降はミフラブやミナレットの増設が行われました。

20世紀前半、トルコの初代大統領ケマル・アタテュルクにより無宗教の博物館となりました。

トプカプ宮殿はアヤソフィアから更に北西にあります。
南西のブルーモスクから北東方面にアヤソフィアとトプカプ宮殿は一直線に並んでおり、全て徒歩で回ることができます。

トプカプ宮殿は15世紀半ばにメフメト2世によって建てられ、オスマン帝国執政の場所として19世紀まで使用されました。

考古学博物館には興味深い遺物がたくさん納められています。
個人的には紀元前13世紀に当時の小アジアを支配していたヒッタイトとエジプトが戦った後に結ばれた和平条約の碑文が必見だと思います。

エジプトの建築王ラムセス2世とヒッタイトのムワタリ2世の間に結ばれた世界初の和平条約は、ヒッタイトだけではなくエジプト側にも記録として残っています。
また、ニューヨークの国連本部にもこの碑文は平和の象徴としてレプリカが置かれています。

旧市街と新市外の間に横たわる金角湾を繋ぐのがガラタ橋です。
夕焼けの時間にはオレンジ色の空を背景に、多くのモスクとミナレットのシルエットが橋から眺められます。

ガラタ橋では一日を通して多くの釣り人を目にします。
鰯を釣っているようで、橋に多く存在する飲食店に卸しているのだそうです。
海はあまりきれいではないので、人によっては食べるのに抵抗があるかもしれませんね。

旧市街側のガラタ橋入口付近には有名なサバサンドの店もあります。
見るたびに値段が上がっていて、驚きます。
イスタンブールがいかに旅行先として人気であるのかを示す定量的な指標の1つでしょう。

旧市街のはずれに、ローマ帝国時代の水道橋が残っています。
ウァレンス水道橋と呼ばれ、4世紀後半のウァレンス帝時代に完成したものです。
なお、ウァレンス帝はゴート族との戦いで戦死していますが、ローマ皇帝として初めて外敵によって亡くなった事例とされています。

北を金角湾、東をボスフォラス海峡、南をマルマラ海に囲まれるイスタンブールで唯一陸続きだったのが西側です。
そのため、西側には5世紀前半に東ローマ皇帝テオドシウス2世によって城壁が建てられました。

現在も一部残り、トラムで行くことができます。
13世紀の第4回十字軍に耐えただけではなく、1543年のメフメト2世による総攻撃にも持ちこたえるように思われましたが、1ヶ所鍵をかけ忘れていたため、そこが突破口になりオスマン帝国がなだれ込んできたとされています。

エルトゥールル号事件を契機として親日である上に治安も悪くなく、直行便まであるイスタンブールは、素晴らしい歴史散策ができる場所として最もお勧めしたい場所のうちの1つです。

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