世界遺産紹介 (26) 始皇帝陵と兵馬俑坑

世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。

今回は始皇帝陵と兵馬俑坑です。
おそらく日本人にとって、中国の世界遺産としては万里の長城と並んで最も有名なものではないでしょうか。

【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー

1. 遺産の概要

遺産名 :Mausoleum of the First Qin Emperor(始皇帝陵と兵馬俑坑)
登録年 :1987年
保有国 :中国
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅰ)人類の傑作、(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの

2. 遺産までの行き方

日本の主要都市から西安まで向かいます。

西安空港からは70kmほどなので、車で1時間ほどの距離です。

現実的には西安空港から直接行くケースは多くないかもしれません。
西安市内からは、西安駅の近くのバス停から行くことができます。
行先に兵馬俑と書かれているため、判りやすいです。

3. ギャラリー

始皇帝は、紀元前221年に中国史上初の統一王朝である秦を創始した人物として知られています。
その陵墓は紀元前246年から建設が始まり、約40年の建設期間をかけて始皇帝の死から2年後に完成しました。

現在も積極的な発掘調査は行われていませんが、水銀の川を作ったとの史記の記述の通り、土壌から高い水銀が検出されているようです。

1974年には始皇帝陵の付近から兵馬俑が出土しました。
現在は1号坑と呼ばれており、1,000体を超える兵士俑が発見されています。
右軍を模したもので、未だ発掘は完了していないといいます。

これらは、始皇帝の死後も生前と同じ生活ができることを願って埋められたものです。

よく挙げられる兵馬俑の特徴は、大きさや表情が個性を持っているという点です。
型から画一的に作ったのではなく、人間が個人毎に身長も顔も違うようにそれぞれを個別に作ったためです。
また、当時は彩色されており、出土した時点では長きにわたり土に守られていたために若干の色が残っていたものの、発掘により空気に晒されたことで色が落ちてしまっています。

兵馬俑との名の通り、兵士の俑だけではなく馬のものも出土しています。
軍馬がかたどられ、御者の姿もあります。

なお、俑とは死者とともに埋葬した人形全般を指し、人や動物といった生物だけではなく、兜や鎧などの無生物の場合もあります。

兵馬俑坑の近くにある博物館では、代表的な俑が展示されています。
最も有名な兵士俑は、横から見た姿が兵馬俑坑を含む陝西省の形と一致するという点でよく知られています。
2,000年以上前の兵士俑に現代の陝西省の形状を投影して議論するのは適切ではないと思いますが、一般受けはしそうな話ですね。

別の坑で発見された銅馬車は実物の半分の大きさで作られています。
始皇帝は秦の統一後に5回の国内巡幸を行っていますが、その際に使われた馬車もこのようなものだったのでしょう。

漢の三傑として知られる張良は、のちの漢の高祖となる前の劉邦に仕えていました。
始皇帝巡幸のうちの1回で、祖国 韓を滅ぼした始皇帝に復讐するために張良は屈強な男を雇い、重さ30kgの鉄槌を始皇帝の乗る馬車に向かって投げつけさせました。
鉄槌が始皇帝の乗る馬車とは違う馬車に当たったために暗殺は失敗したという史実がありますが、実物の半分のサイズの馬車でさえも立派であることを見ると、当たっていたとしても殺すことはできたのだろうかという疑問が湧きます。

博物館には兵馬俑の発見者である楊氏がサインに応じてくれます。
1974年の3月に井戸掘りをしていた楊氏が、土の中から発見した兵馬俑を、価値を疑いながらも博物館に持ち込んだことが発見のきっかけとされています。

公式冊子を購入し、更にサイン代を支払うと本にサインを書いてくれ、更に写真撮影にも応じてもらえるようになります。
しかしながら、『第一発見者 楊氏』としてサインをしている人物は数人いるようで、もはや何が正しいのか解りません。

比較的アクセスがよく、最短で2泊3日で行くことができます。
兵馬俑の観光拠点になる西安もシルクロードの始点として世界遺産に登録されている点も、訪問に際しては好材料です。

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