アルメニア旅行記 (1) アフパット修道院、サナイン修道院とホルヴィラップ修道院の絶景(2018年4〜5月)
2018年のGWは、ジョージア(グルジア)~アルメニア~ウクライナ~ベラルーシ~アゼルバイジャンを旅行しました。
それぞれの国ごとに訪問場所をご紹介します。
前回のジョージアに続き、今回からアルメニアを2回に分けての紹介です。
南部をトルコに接するアルメニアは20世紀初頭のオスマン帝国時代に起きた大虐殺により、現在もアルメニア人の過半数は国外で暮らしていると言われています。
旅行先としても決して選択肢にあがりやすい場所ではありませんが、修道院をはじめとした見どころの数々は実に素晴らしいものでした。
なお、水道レバーを左右に振って温度を調節する形式のものはよく見ますが、アルメニア人の発明なのだそうです。
【目次】
1. アルメニア基礎情報
2. アフパット修道院
3. サナイン修道院
4. ホルヴィラップ修道院
1. アルメニア基礎情報
人口 :302万人
面積 :29,743平方キロ
首都 :エレバン
公用語:アルメニア語
時差 :UTC+4(日本から5時間マイナス)
通貨 :ドラム(AMD)
レート:AMD1=JPY0.228(2018年6月25日時点)
ビザ :年間180日以内の滞在の場合はビザ不要(2018年6月時点)
2. アフパット修道院
ジョージアの世界遺産ムツヘタから車で2時間近く南下すると、ジョージアとアルメニアの国境に着いた。
アルメニアは2017年9月から、日本人に対してビザ不要の入国を認めだしたばかり。
国境での入国は、1名あたり2分くらいで審査が終わっており、待ち人数も少なかったため10分もかからずにスムーズだった。
さらに車で南下すること約1時間、アルメニアの中でもジョージアに近いロリ地方のアフパット修道院に着いた。
まるでゲームに出てくるような修道院の様子は非常に美しい。
アフパット修道院は、この後に行ったサナイン修道院とともにに『Monasteries of Haghpat and Sanahin(アフパットとサナインの修道院)』として世界遺産に登録されている。
ビザンツ様式とアルメニアの伝統様式の融合という観点で登録基準(ⅱ)価値観の交流が、10世紀から13世紀にかけてのアルメニアにおける代表的な宗教建築であるという点で登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の2つの登録基準を満たしている世界遺産である。
メインとなる聖堂は10世紀のバグラト朝時代のものであり、内部の十字架石碑(ハチュカル)はアルメニアの修道院で数多く見ることができる。
外に出ると、建築物が半分ほど大地に覆われているかのような様子がよく判る。
緑が濃くなりだす時期に来て良かった。
3. サナイン修道院
アフパット修道院から車で30分ほどでサナイン修道院に着いた。
その名が『もっと古い』を表す通り、アフパット修道院よりも古く、のちに修道院に転じられる前身のアメナプルキシュ教会は967年に建設された。
日本では藤原実頼が冷泉天皇の関白となり、摂関政治が完成した時期である。
主聖堂の建造から、12世紀以降に回廊や拝廊が増築されてきた。
18世紀に一帯を治めていたカルトリ・カヘティア王国のイラクリ2世のもとで活躍した吟遊詩人サヤトノバは、サナインで生まれたと言われてれている。
サナイン修道院の見学を終えて車で2時間弱ほど南下し、アルメニアの首都エレバンに着いた。
昨晩のトビリシ(ジョージア)は4人部屋だったが、こちらの8人部屋の方が快適だった。
4. ホルヴィラップ修道院
翌日5月1日(火)、朝9時に昨日と同じドライバーとガイドが宿に迎えに来た。
まずはホルヴィラップ修道院に向かう。
泊まった宿Envoy Hostelにドライバーとガイドを依頼しており、昨日のジョージア~アルメニア移動や観光も含めた2日分で約USD410。
団体ツアーに比べると割高ではあるが、個人旅行の自由度と時間の節約は何物にも代え難い。
3世紀末、この地では異教であったキリスト教を広めていた聖グレゴリウスは、アルサケス朝時代の王ティリダテス3世に疎まれ幽閉された。
エレバンから車で約1時間強、その跡地に建つホルヴィラップ修道院にやってきた。
『ホル』は深い、『ヴィラップ』は穴を表す通り、聖グレゴリウスは地下の穴に囚われ、日の光も射さない環境下で拷問に耐えて13年を生き延びたとされる。
穴の深さ自体は10mくらいであり、一本の梯子を降りる観光客と昇る観光客で共用するために若干渋滞した。
ホルヴィラップ修道院の裏手にある小高い丘からは修道院の全景を見渡すことができる。
ティリダテス3世が病に伏した際に妹の助言により聖グレゴリウスを解放したところ、病を治癒してもらえたことに感激し、301年にキリスト教を認めたことがアルメニアを世界初のキリスト教国家にした。
313年、西方正帝コンスタンティヌス1世と東方正帝リキニウスによるキリスト教の公認(ミラノ勅令)よりも10年以上早い。
南には、ノアの方舟が洪水で漂着したしたとされるアララト山。
実際にはアルメニア領内にあるわけではなく、トルコ領内の約30kmほど南にある。
標高5,137mとの大アララト山と標高3,896mの小アララト山の2つがあり、アルメニアの入出国のスタンプにも使われている。
ホルヴィラップ修道院から車で1~2分ほど離れると、大アララトとホルヴィラップ修道院を同時に収まる素晴らしい絶景が広がる。
同行したガイドによると、雪が残っている時期はきれいに晴れ渡ることは少ないらしく、ラッキーだったようだ。
最近はよく、この光景がコーカサス3国方面の旅行パンフレットなどでよく使われている。
今回の旅で最も見たかった場所が非常に良いコンディションで見ることができたことに興奮しながら、次の目的地エチミアジンに向かった。
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