アルメニア旅行記 (2) エチミアジン、ズヴァルトノツとゲガルト修道院(2018年4〜5月)
2018年のGWは、ジョージア(グルジア)~アルメニア~ウクライナ~ベラルーシ~アゼルバイジャンを旅行しました。
それぞれの国ごとに訪問場所をご紹介します。
前回のホルヴィラップ修道院などの訪問に続き、今回はエチミアジンなどのアルメニアの世界遺産を訪れました。
【目次】
1. エチミアジン
2. ズヴァルトノツ
3. ゲガルト修道院
4. ガルニ神殿
1. エチミアジン
ホルヴィラップ修道院から車で1時間ほどでエチミアジンに到着。
まずはその中で、ガヤネ教会に向かった。
ここには、4世紀初頭に殉教したガヤネがまつられている。
17世紀に再建された現在の建物は、7世紀の建造当初の姿を今に伝えるという。
ガヤネはキリスト教徒であった聖フリプシメの乳母であり、ローマのディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害期にアルメニアに逃れてきたが、聖フリプシメとともに殺された人物である。
続いて、エチミアジン大聖堂に来た。
アルサケス朝ティリダテス3世の命によって300年頃にホルヴィラップ修道院の穴から解放された聖グレゴリウスは、その後アルメニア教会のカトリコス(総主教)となった。
神のお告げに従い4世紀に建てられた聖堂は、その後何度も増改築をされ、現在のエチミアジン大聖堂に至る。
エチミアジン大聖堂はアルメニア最古の聖堂で、アルメニア教会の総本山でもある。
ゲガルト修道院で見つかったとされる、イエスの磔刑の際に使われたロンギヌスの槍(聖槍)が収められている事でも知られている。
訪問時は改修中で、ノアの方舟の欠片などを収めた宝物館が見られなかったのは残念だった。
この頃アルメニアは、東西を挟む東ローマ帝国とササン朝ペルシアの両勢力から強い干渉を受け、5世紀前半に滅亡した。
そのため、5世紀中盤のカルケドン公会議においても異議申し立てることができず、信仰していた単性論が異端とされ、アルメニアのキリスト教信仰は主流であるカトリックや東方正教会などとは異なる独自路線を歩むこととなった。
フリプシメ教会もエチミアジン大聖堂の近くにある。
ガヤネ教会と同じく、7世紀に建設が始まった。
聖グレゴリウスがホルヴィラップ修道院に囚われていた3世紀末、ローマのディオクレティアヌス帝の求婚を断って命を狙われたことでフリプシメは乳母のガヤネとともにアルメニアへ逃れてきた。
歴史上有名なディオクレティアヌス帝から求婚をされるだけあり、地下の石棺には美しい姿で描かれている。
アルメニアへ逃れたフリプシメだが、ここでも王ティリダテス3世から求婚されることとなる。
異教徒である王の求婚を断ったため、フリプシメは兵士によって石打で殺害されてしまった。
その際に使われたとされる石も現在に残っている。
フリプシメの殺害を命じたトゥリダテス3世はその後に重い病を患ったが、妹の助言に従ってホルヴィラップ修道院の穴に幽閉していた聖グレゴリウスを解放した。
聖グレゴリウスに病が治癒されたことで、ティリダテス3世はキリスト教に改宗したとされる。
2. ズヴァルトノツ
フリプシメ教会から移動し、ズヴァルトノツ考古遺跡にやってきた。
遺跡の入り口から既に、遠くに見える遺跡の柱と青い空の下のアララト山が好奇心を掻き立てる光景。
ズヴァルトノツは、エチミアジン大聖堂・フリプシメ教会・ガヤネ教会と共に『Cathedral and Churches of Echmiatsin and the Archaeological Site of Zvartnots(エチミアジンの大聖堂と教会群、およびズヴァルトノツの考古遺跡)』として世界遺産に登録された。
これらの建造物様式が地域一帯の建造物に大きな影響を及ぼしたとして登録基準(ⅱ)価値観の交流が、精神性と革新的な建築を鮮やかに描いているとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠の登録基準が認められている。
7世紀中盤にカトリコス・ネルセス3世によって建てられた大聖堂の周囲には、宮殿跡などの遺跡も残っている。
10世紀前半の地震で大部分が倒壊してしまっているため、当時の様子を想像することは難しいが、大聖堂は高さ50m近くもある立派なものだったらしい。
倒壊の唯一のメリットかもしれないのが、遺跡跡とアララト山を同時に眺められることかもしれない。
ポンペイ遺跡とヴェスビオ山のような美しい対比。
3. ゲガルト修道院
ズヴァルトノツ遺跡から車で1時間弱の場所にゲガルト修道院がある。
『ゲガルト』は槍を意味し、イエスの磔刑に使用されたロンギヌスの槍が発見されたためにその名を冠する修道院として13世紀に建造された。
僧院や食堂など、様々な施設は裏手の岩山をくり抜いて拡張する形で作られた。
さすがにドアは木製だが、槍のモチーフなどで装飾されている。
ゲガルト修道院を含むエリアは『Monastery of Geghard and the Upper Azat Valley(ゲガルト修道院とアザート渓谷上流域)』として世界遺産に登録された。
良い状態で保存された岩をくり抜いた教会や墓が中世アルメニア修道院の代表例であり、以降の発展に大きな影響をもたらしたとして登録基準(ⅱ)価値観の交流が認められている。
4. ガルニ神殿
ゲガルト修道院から車で10分程度でガルニ神殿に着いた。
ガルニ神殿は、ギリシャ〜ローマの流れを汲んだ、アルメニアに現存する唯一のヘレニズム建築とされている。
紀元前3世紀から要塞が築かれ、1世紀には王の離宮も建造された。
キリスト教やゾロアスター教以前の時代に起源を持つため、ミトラ信仰を象徴する神殿となっている。
17世紀の地震で倒壊し、1976年に再建された。
ガルニ神殿の見学を終え、エレバンに帰る途中、ちょうど首相の選出日に当たっていたために多くの車に国旗が掲げられていた。
まだ17時前ということもあり、エレバンに到着してから少し散歩することにした。
広場の近くのカフェなどでは、夕方にテレビを見つめながら首相の選出動向を見守る多くの人。
この時点までは危険な雰囲気ではなかったが、この後に野党第2党エルクのパシニャン党首の首相選出が否決され、国旗があちこちで燃やされたり道路封鎖がなされるなどして雰囲気が一気に変わってしまった。
宿の人間からも外出は控えるよう言われ、残念ながらエレバンの夜の探索はできなかった。
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