ベラルーシ旅行記 ミール城とラジヴィル家の栄華が残るネスヴィシ(2018年4〜5月)

2018年のGWは、ジョージア(グルジア)~アルメニア~ウクライナ~ベラルーシ~アゼルバイジャンを旅行しました。
それぞれの国ごとに訪問場所をご紹介します。

前回のウクライナに続き、今回はベラルーシです。
ベラルーシの『ルーシ』は、もとはウクライナのキエフ大公国を指す言葉でしたが、ウクライナ人・ベラルーシ人を指す言葉でもあります。
13世紀のモンゴルによる征服時に西を表す『ベラ』と合わさり、現在の国名となっています。

【目次】
1.  ベラルーシ基礎情報
2.  ベラルーシへ
3.  ミール城
4.  ネスヴィシ

1.  ベラルーシ基礎情報

人口 :950万人
面積 :207,600平方キロ
首都    :ミンスク
公用語:ベラルーシ語、ロシア語
時差 :UTC+3(日本から6時間マイナス)
通貨 :ベラルーシルーブル(BYN)
レート:BYN1=JPY55.73(2018年6月29日時点)
ビザ   :ロシア以外の国からの入国する場合かつ5日以内の滞在の場合はビザ不要(2018年6月時点)

2.  ベラルーシへ

5月2日(水)19時40分発のキエフ発ミンスク行にのって1時間でベラルーシの首都ミンスクに到着。
今回の旅行開始直前にビザを完全に失念していたことを思い出し一瞬真っ青になったのだが、よくよく調べてみると、2017年2月からベラルーシでは5日以内の滞在で実質ノービザが認められるようになっていた。

これは『ビザなしの5日間』と呼ばれる制度で、従来必要だったベラルーシ国内の招待人などが不要となったため、入国のハードルが一気に下がった。
もし、この制度がなかったらベラルーシの入国は諦めざるをえず、かといって既に買っている航空券を前途無効にしないためにベラルーシまでは来なくてはいけないので後続便を待つだけの無駄な空港滞在になるところだった。

ベラルーシでは、入国審査の際に旅行中の健康保険の加入が証明できる書類の提出が必須となっている。
例えば、日本の海外旅行保険やクレジット付帯の海外旅行保険の英訳証書などが必要となる。
任意の海外保険に入っておらず、クレジット付帯保険はありながらも英訳版を持っていなかった自分のような場合は、入国審査前に開設されている保険カウンターで入ることも可能。
1泊2日の場合はEUR2。

入国審査を済ませ、ミンスク第2空港から市街地までのバス乗り場を聞くと、乗り場はすぐに判った。
市街までは約40kmで、料金はBYN4(約220円)。

バス停が基本的な降り場ではあるが、現地民は好き勝手に運転手にバスを止めてもらって降りていたため、自分も真似してそれっぽいところで下車。
ただ、本当に降りたい場所からは少し離れてしまったので20分くらい歩いて宿に向かった。
既に23時を回っていたため、日付が変わる前に宿に着くことを優先し、夜のミンスクをふらつきながら向かうことはしなかった。

3.  ミール城

翌日5月3日(水)、朝8時にドライバーに迎えに来てもらい、ミンスクから100kmほど離れたミール城に向かった。

チョコレートウェハ―スのような色合いが特徴的。

ミール城は『Mir Castle Complex(ミール城と関連遺産群)』として世界遺産に登録されている。
ゴシック・バロック・ルネサンスの流れを汲んだ様式がこの地域の城郭の卓越した事例であるとして登録基準(ⅱ)価値観の交流が、地域における政治的・文化的な対立や融和の長い歴史を体現しているとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の基準が該当している。

現在の建物はイリイニチ家が建造した15世紀末のオリジナルではなく、ナポレオン戦争で破壊された後に19世紀ロシア時代に再建されたもの。
最初の創建から破壊までの長い歴史の中で様々な建築様式での増改築が行われてきたことが、ミール城の価値を高めることとなった。

4.  ネスヴィシ

続いて、ミール城から約30kmの位置にあるネスヴィシに向かった。

駐車場に車を止め、ネスヴィシ城に向かう。

ここでは、『Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh(ネスヴィシにあるラジヴィル家の建築と邸宅および文化関連遺産群)』として世界遺産登録されている建築群を見ることができる。
ラジヴィル家(ラジヴィウ家)は、13世紀からのリトアニア大公国および16世紀中盤から18世紀末まで続くポーランド王国との国家合同時代の大貴族であり、16世紀中盤にはミール城も所有していた。

16世紀中ごろには神聖ローマ皇帝カール5世から一族に爵位も与えられ、富と権勢を誇ったという。

西欧建築の融合を中欧にもたらしたとして登録基準(ⅱ)価値観の交流、中欧における建築の発展過程や16~17世紀の建築の歴史の代表例として登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、ラジヴィル家が南欧・西欧からの影響と中欧・東欧の思想の交流に重要な役割を果たしたとして登録基準(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの、の3つの世界遺産登録基準が認められている。

ネスヴィシの観光を終え、近くのボウガン射撃で少し遊んで遊んでからミンスク第2空港に向かい、夕方のキエフ経由バクー行きに搭乗した。

 

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