世界遺産紹介 (8) ペトラ
世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。
今回はペトラです。
ヨルダンのみならず地中海東岸域で最も有名な世界遺産と言えます。
著名な映画で舞台となったことも知名度の高さに寄与しています。
【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー
1. 遺産の概要
遺産名 :Petra(ペトラ)
登録年 :1985年
保有国 :ヨルダン
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅰ)人類の傑作、(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの
2. 遺産までの行き方
まずはドバイやイスタンブールなど中近東方面の主要都市からヨルダンの首都アンマンに向かいます。
アンマンからはJETTバスやタクシーなどで4時間ほど南下します。
JETTバスは1日1便なので、時間に注意が必要です。
3. ギャラリー
ペトラは紀元前2000年頃からこの地に定住していたナバタイ(ナバテア)人により、紀元前2世紀頃に建設された都市です。
ナバテア人は乳香や絹の交易で栄えました。
ペトラがギリシャ語で崖を意味する通り、シークと呼ばれる切り通しが続きます。
車の乗入は禁止され、時折、観光客を乗せた馬が通ります。
ペトラの入口からエル・ハズネまでは歩いて30分程度で到着します。
エル・ハズネはアラビア語で『宝物庫』を意味し、アラブ遊牧民族ベドウィンは『ファラオの宝物庫』を意味するハズネ・ファウルンとも呼んでいます。
実際にはエジプトのファラオとの関係性の証拠は無く、また、地下から人骨が発見されたために墳墓としての使用が推定されているようです。
奥に進む途中には、ローマ遺跡も存在します。
2世紀初頭の帝政ローマ時代、トラヤヌス帝によりアラビア属州化されるまでおおよそ独立を保っていたペトラですが、属州化移行はその影響を免れませんでした。
ローマ遺跡に欠かせないと言える円形劇場跡が見られます。
7世紀にはムハンマドに率いられたイスラム勢力がペトラを支配下としました。
その後もナバタイ人はペトラに定住を続けていましたが、8世紀の大地震でついにぺトラは放棄されます。
12世紀には一時的に十字軍が都市を再興しようとした時期もあったようですが、結果的には一部のベドウィンのみに存在が伝わり続け、1812年にスイスの冒険家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによる『発見』まで、その存在は表舞台からは忘れ去られていました。
人工の建造物ももちろんですが、自然の景色も魅力的です。
狭いシークには水が流れた跡が残っていますし、高く登れば風化した荒々しい岩が青空の下に映えます。
途中には多くの土産物屋が並び、USD1程度で岩彫りのペトラ置物を買うことができます。
なお、ペトラは乾燥帯の中でも熱帯砂漠気候と温帯砂漠気候のちょうど境目に位置しています。
両者の気候の違いは年間平均気温が18℃を越えるか越えないかです。
遺跡の入口から1時間半ほど歩くと最深部のエド・ディルにたどり着きます。
1世紀頃に建てられた寺院であり、エル・ハズネとは異なり中に入ることもできます。
入口は高いので全身を使ってよじ登らなくてはなりません。
中には何もありませんが、貴重な日陰で涼むことができます。
エド・ディルの向かいには広場を挟んで階段があり、10分ほどかけて800段を登ると全景を捉えることができます。
自身が行ったときにはたまたま人が全くおらず、素晴らしい景色でした。
メインルート最深部なので、炎天下の中で長距離歩く人が少ないのでしょう。
入場料が世界一高い遺跡と言われるペトラですが、象徴的なエル・ハズネは他で見ることのできないものです。
奥に行けば行くほど観光客が少なくなる点も良かったです。