世界遺産紹介 (20) ブリュッセルのグラン・プラス
世界遺産は1,000件を越え、『顕著な普遍的な価値』があると認められた人類共通の遺産です。
その中から、自分が訪れた遺産をご紹介します。
今回はブリュッセルのグラン・プラスです。
ヨーロッパの各国の首都には世界遺産が存在するケースが多いのですが、グラン・プラスもその事例のひとつです。
【目次】
1. 遺産の概要
2. 遺産までの行き方
3. ギャラリー
1. 遺産の概要
遺産名 :La Grand-Place, Brussels(ブリュッセルのグラン・プラス)
登録年 :1998年
保有国 :ベルギー
遺産区分:文化遺産
登録基準:(ⅱ)価値観の交流、(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観
2. 遺産までの行き方
日本からの直行便は、成田からブリュッセルまで就航しています。
直行便は限定的ですが、経由便は様々なルートがあります。
例えば、日本からパリ経由で向かうルートなどです。
パリなど主要都市からであれば1時間程度のフライトでブリュッセルに到着です。
空港からは鉄道でブリュッセル中央駅に向かいます。
頻繁に出ているうえ、30分もかかりません。
ブリュッセル中央駅からグラン・プラスへは徒歩で数分です。
詳しい道が解らなくとも、観光客然とした人々に着いていくことで迷うことはないと思います。
3. ギャラリー
ブリュッセルは、10世紀後半に下ロートリンゲン公シャルルが要塞を造営したことで発展が始まった街です。
シャルルはカロリング朝末期にロベール家のユーグ・カペーと後継を争ったものの破れ、ユーグ・カペーはカペー朝を創始し14世紀前半のヴァロア朝までフランスを支配したのです。
縦110m、横70mの広さを持つグラン・プラスは、11~12世紀ごろから開かれた市場を起源としています。
その後、広場を取り囲むように様々な建造物が建ち、現在の景観の基礎となりました。
ヴィクトル・ユーゴーが世界で最も豪華な広場、ジャン・コクトーが絢爛たる劇場と称えたグラン・プラスでは、現在は西暦偶数年の夏にフラワーカーペットの祭典が行われています。
2016年には、日本とベルギーの国交150周年に当たったため、日本をテーマとしたものになりました。
グラン・プラスを代表する建物が市庁舎で、15世紀前半に造られました。
高さ96mの塔の先端には、ブリュッセルの守護天使であるミカエルの像が据えられています。
グレーがかった建物は王の家と呼ばれるものです。
12世紀頃のパン市場を由来とするものの、その後に支配者となったスペイン・ハプスブルク家が役所として使用したものです。
その治世においてプロテスタントは迫害されました。
プロテスタントで初めての殉教者として知られるヤン・フォン・エッセンとヘンドリク・フォエスはグラン・プラスで火刑に処されています。
また、16世紀中盤にスペイン・ハプスブルク家に抗して処刑されたエグモント伯とその同志オルヌ伯がグラン・プラスで処刑される前夜、過ごした場所が王の家です。
政治的な建物以外ではパン職人、肉屋、大工などの各業種毎の同業組合であるギルドの建物が並んでいます。
東方からベルギー西部フランドル地方への玄関口として、ブリュッセルが交易で栄えた名残を感じます。
これらのギルド・ハウス群はもともとは木造でした。
しかし、ルイ14世とスペイン等アウクスブルク同盟諸国が戦った大同盟戦争中の1695年、7万もの兵を率いたフランス将軍ヴィルロワの砲撃によりグラン・プラスの建物は石造りの市庁舎以外焼失しました。
現在残っている建物はその後5年以内に再建されたものです。
グラン・プラスの南西には、有名な小便小僧Julienのレプリカがあります。
オリジナルは17世紀前半に作られました。
シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚像と共に世界3大がっかりスポットとされ、決して目を引く出で立ちではありません。
しかし、ブリュッセルを襲った敵の導火線を小便で消したという由来を知ることで興味深く見ることができると思います。
なお、王の家の中にある博物館には小便小僧のオリジナル像と世界各国から送られた衣装が収められています。
小便小僧からグラン・プラスを挟んで反対側に小便少女Jeanneke Pisが置かれています。
その佇まいから賛否両論あるようですが、確かにそのような議論を巻き起こすことは見て解ります。
小便小僧に影響されて1980年代後半に設置されたものですが、関連グッズなどの収益はエイズ研究などに寄付されているそうです。
ブリュッセルにはグラン・プラスだけではなく、『建築家ヴィクトール・オルタによるおもな邸宅』と『ストックレ邸』の2つの世界遺産があります。
グラン・プラスと異なってやや訪れにくいものではありますが、ブリュッセル起点で一度に多くの世界遺産が回れることは魅力です。