アルジェリア旅行記 (2) ムザブの谷のエル・アーティフとセブセブ砂丘(2019年2月)

2019年2月のアルジェリア観光です。
初日は到着と就寝だけでしたが、翌日はムザブの谷と周辺をドライバー貸切で回りました。

【目次】
1. エル・アーティフ
2. セブセブ砂丘
3. ガルダイヤ

1. エル・アーティフ

1. エル・アーティフ
2月9日(土)、午前の比較的早い時間にベニ・イスゲンの観光を終えた後はドライバーと共にエル・アーティフに向かった。
ベニ・イスゲンからは車で20分程度の距離で、10時半前に到着。

エル・アーティフもムザブの谷の城塞都市クサールのうちの一つで、ベニ・イスゲンと同様にガイドをつけることで中の観光をすることができる。

ガイドと共に中に入ると、アルジェリア人親子2人も一緒に観光することになった。
娘はイギリスの大学で建築を勉強しているらしく、自分のドライバーと同じように『ムザブの谷の建築や生活は、自分たちアルジェリア人にとっても非常に興味深い』という趣旨のことを言っていた。

エル・アーティフの門を抜けて4人でしばらく歩くと、ベニ・イスゲンを見たときと同様、個人が設けていると思われる博物館のような場所に通された。
明確な料金はなく、置いてある瓶に帰りがけにチップを入れていく。

中は調理器具や民族衣装などの生活様式の展示が主で、あまり見たことのない足に毛が生えた鳩なども。
サソリに紫外線を当てると発光することは知っていたが、アルジェリアで初めて実物を見ることになった。

サソリが成育していくに従って殻の中に作られるβ-カルボリンなど特定の有機物が紫や近紫外域の光を吸収して励起され、基底状態に遷移する際には緑を中心とした可視光で発光するためらしい。

エル・アーティフでは、初めて土産物屋を見た。
織物がメインであまり食指は伸びなかったが、値段はそれほど高くなく、スカーフで日本円600円くらいの価格帯。
街中でも外国人を基本的に見かけないくらい観光客が少ない様子なので、おそらくアルジェリア国内観光客を相手にしているのだろう。

クサール内では現在でもロバが使われている。
入り組んだ狭い路地なので車が入り込める余地はない。

基本的に人を撮影してはならないのだが、なぜかここは現地ガイドが撮影しても良いと言う。
撮影しても良いと言うより、むしろ撮影しなさいという指示めいた雰囲気だったが、フランス語なのでニュアンスはよく解らなかった。

エル・アーティフの中庭は素晴らしい眺め。
手前の高台は墓地で、遺体を墓地に埋葬する前に安置する場所などは妙に現代的できれいなコンクリートの床にペンキの線で囲われている。

ここでのガイドの説明の中では、ル・コルビュジエの名前が頻繁に出てきた。
中庭にある背の低いシンプルなモスクがル・コルビュジエと関係している様子だったが、やはり言葉の壁で何を言っているのか全く理解できず。
事前に代理店からは現地ガイドがフランス語である旨は聞いていて覚悟はできていたものの、いざ現地で説明が全く理解できないとなると少し残念。

ただ、その後2019年7月七夕の日に放送されたTBSのTHE 世界遺産で同じガイドが出ていて、まさにこの場所を案内していた。
谷の底にあるシディ・ブラフムモスクの光を取り入れる窓の設計が、ル・コルビュジエがフランスに建てた世界遺産 ロンシャンの礼拝堂のモデルになったのだそうだ。
現地で聞いて解らなかった内容が、まさか日本のテレビを通した同じガイドの説明で聞けるとは思わなかった。

2. セブセブ砂丘

1時間半ほどのエル・アーティフ観光を終え、次はドライバーお勧めのセブセブ砂丘に向かった。

途中でブー・ヌーラを車窓近くに見ながら通り過ぎ、つい3時間ほど前にいたベニ・イスゲンも経由して1時間ほどの道。
ベニ・イスゲンではドライバーが車を停めてくれたので、全景をよく見ることができた。
高台からのクサールの眺めは、これまでの自分の旅行経験の中でも特筆して美しいと感じた。

13時過ぎ、セブセブ砂丘に到着した。
砂丘脇には幾つかのモスクや建物があり、大規模な観光客を受け入れるような場所ではないが簡単な食事もできるようだ。

食事場所は簡易な小屋で、全面に絨毯が引いてあって20名くらいは入れそうな場所。
しかし、基本的に観光客が大挙して訪れる場所でないため、貸しきり状態。
ドライバーも隣で横になり、すっかりリラックスしている。

20分ほどすると、料理が出てきた。
メインはマグレブ(マグリブ)諸国の伝統料理クスクスで、サイドとしてデーツやピーナッツなど。
アルジェリアではクスクスを指して『食事』と呼ぶほど、日常の食生活に浸透している。

具をかけると自身にとってはとてつもない量になるので、到底食べきれなかった。
基本的には小麦粉から作られているのでクスクスそのものに癖はないのだが、スープのほうはどうしても好き好んで食べるような味わいではない。

ドライバーは他の料理も頼み、それが来ると彼自身が使っていたスプーンでそのまま一すくいして僕にくれた。
また、食べきれないクスクスを取っていて食べてくれたりもする。

隣で普通に横になって寝るし、食器も使いまわし。
ドライバーが気兼ねせず過ごす距離感は心地良かった。

食事を終えてひと休みしていると、外でマリオとピエロが走り去っていくのが見えた。
こんなところにいるはずのないものだったので見間違いかとも思ったが、慌てて靴を履いて追いかけると間違いなかった。

まさかサハラでマリオを見るとは思わなかったので事情を聞いてみると英語が通じ、隣接のろうあ学校の生徒達を元気付けるために慰問に来たグループらしい。
向こうは向こうでマリオの国日本から観光客が来ているということで非常に驚いていた。
ろうあ学校までついて行くとたちまち生徒達に囲まれ、何枚も写真を撮られた。
観光客は本当に珍しいようだ。

裏にはすぐに砂漠が広がり、DZD300(約280円)でバギーが乗れたりらくだが闊歩している環境。
らくだにクサールから車で1時間ほどしか来ていない割には、様子は全く異なる。

3. ガルダイヤ

セブセブで3時間ほど過ごし、1時間半近くかけて17時半にガルダイヤに到着した。
ムザブの谷のクサールの中でも、最も名前が知られているものではないだろうか。

既に夕暮れの時間であるだけでなく、ガルダイヤは基本的に観光客を受け入れていないようなので、外の高台から眺めた。
高台にいた地元の中高生くらいの子供たちからは、たくさんの写真攻めにあった。
クサールの中では全く英語が通じないが、外の若年層はかなり通じる。

ムザブの谷に残るガルダイヤ、エル・アーティフなどのクサールは『M’Zab Valley(ムザブの谷)』として世界遺産登録されている。
20世紀のル・コルビュジエやフェルナン・プイヨンらに影響を与え11世紀から続く中央サハラの代表的な定住の証拠であるとして登録基準(ⅱ)価値観の交流、城塞・墓地・椰子林といった要素が平等を重んじるイバード派文化の象徴であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、水の獲得・分配や椰子林の生育を通じて人間と半砂漠環境の相互作用がみられるとして登録基準(ⅴ)伝統的集落や土地・海上利用または人類と環境の交流、の登録基準を満たしている。

その後、ホテルまで戻ってからドライバーと別れた。
いったん部屋に荷物を置いてから再び徒歩で出かけ、近くの高台から遠くに見えるガルダイヤを眺めに行った。
18時半ころだったので日も大きく傾きあまり遠くを見通すことはできなかったが、ムザブの谷で過ごす最後の日なので、完全に日没するまでその場にいることにした。

そうしていると、やはり多くの現地人が『ニイハオ』と声をかけてくる。
なお、ムザブの谷では外国人観光客を目にすることはとうとう1回もなかった。

ホテル近くの遊園地はなかなか人気のようで、多くの子連れで賑わっている。
入場料がいくらくらいなのか確認しようとしたが、掲示がなく判らないため、外から見るだけにした。

夜は他に特に見て回るようなものがないため、ホテルに戻った。
WiFiが異様に遅くて難儀したが、日本にいる奥さんに無事であることを連絡して寝た。

 

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