リトアニア旅行記 (2) 3つの十字架の丘とビリニュス旧市街中心部(2019年7月)

2019年7月にバルト三国を周遊しました。
観光初日はビリニュスに到着して、空港から旧市街を散策しました。
午後の観光について紹介します。

【目次】
1. 3つの十字架の丘と聖ペテロ・聖パウロ教会
2. ゲディミナス塔と大聖堂広場
3. ビリニュス大学と聖三位一体教会

1. 3つの十字架の丘と聖ペテロ・聖パウロ教会

7月13日(月)、ビリニュス観光の午前の節目として訪れたウジュピスからヴィルネ川に沿って北上した。
ヴィルネ川の対岸に先ほど見た聖アンナ教会などを左手に見ながら進む。

次の目的地は3つの十字架の丘。
高台にあるため、ビリニュスの全景が眺められる場所として知られている。

ウジュピスから徒歩20分くらいで3つの十字架の丘に到着。
直線距離は近いものの、ヴィルネ川沿いは草木が茂って足場もあまり良くない。
更には途中から登りになるので、地図アプリなどで表示された時間よりは長めの移動時間をみておいたほうが良いと感じた。

3つの十字架の丘は、その名の通り十字架の形をしたモニュメントが並ぶ。
14世紀に布教に来たフランシスコ会の修道士は斬首されたり溺死させられるなど迫害されたといういわれに基づいて造られた。
もともとは17世紀に造られたが、現在残るものはスターリンによる破壊を経て再建されたもの。

13世紀にリトアニアを統一したミンダウガスはカトリックから洗礼を受けている。
ミンダウガスには王としての承認をカトリックから得られ、カトリック側には猛威を振るっていた対モンゴルへの防御壁を得るという双方の利得があることが背景とされているが、その後にミンダウガスは信仰を破棄して多神教に戻っており、そのような歴史が可視化されたモニュメントでもあると解釈した。

丘からは旧市街全域を見渡すことができるが、あいにくの曇りで眺望は期待していたほどではない。
ビリニュスを囲むとされる7つの丘のうちの残り6つも、どれがどれなのか判らなかった。

続いて、ビリニュス旧市街から少し東に離れる聖ペテロ・パウロ教会に向かった。
地図で調べると丘の北に広がるエリアを迂回する道が示されるが、実際には北に突っ切って進むことができる。

聖ペテロ・聖パウロ教会は、ヤン・ザオルの設計のもとで17世紀に建造された。
ロシアとの戦いの戦勝を記念したものとされているようで、リトアニア内ではバロック建築の傑作とされているらしい。

訪れたタイミングではたまたま結婚式で使用されていたが、敷地から追い出されることもなく、そのまま待たせてもらう。
事前情報では中に入るのは料金が必要とのことだったが、タイミングが良かったのか徴収される気配はなかった。

内装は2,000点以上の彫像で覆われているだけではなく、ノアの箱舟を模したシャンデリアも天井から下がっている。
小さい教会ながらも彫像の繊細さは大変に目を引き、内装に30年以上を要したということは納得ができる。

また、中央祭壇の奥には聖ペテロと聖パウロの告別と題した19世紀初頭の絵画が飾られ、聖アウグスティヌスの彫像も見られた。

2. ゲディミナス塔と大聖堂広場

聖ペテロ・聖パウロ教会から旧市街方面に戻るため、ネリス川南岸を西側に進んだ。
ゲディミナス塔が次の目的地となる。

ゲディミナス塔は、3つの十字架の丘ほどの高さは無いものの、小高い丘の上に建っているために良い眺望で知られている。
塔が立つ高さまで歩いていくのが大変な場合は、近くにあるケーブルカーが片道EUR1で利用できる。
多少疲れてはいたものの、少しの距離でEUR1を払うのはもったいないので歩いた。

1323年には、リトアニア大公ゲディミナスがトラカイからビリニュスに遷都した際に城を築いた。
その後の火災や戦争で破壊されたものの、塔は破壊を免れて現在はゲディミナス塔として公開され、当時の城の模型や武具等が展示されている。
入場料はEUR5(約610円)だった。

ゲディミナス塔からも見下ろせるリトアニア大公宮殿までは徒歩10分程度。
で行くことができた。
塔が立つ丘をおりて南下し、庭園を突っ切って行くと近い。

リトアニア大公宮殿はもともと15世紀に建造されたが、ロシアによる破壊を経て21世紀になってから再建がされた。
どうりで真っ白な外壁から新しさを感じたわけで、2015年に平成の大修理を終えて『白すぎ城』とも揶揄された姫路城を思い出しもした。

大公宮殿の前にはゲディミナスの像が立つ。
13世紀中盤にリトアニアを統一したのはミンダウガスだが、その死後に分裂状態にあったリトアニアを再統一し、トラカイからビリニュスに遷都したのがゲディミナスである。
従って、リトアニア大公国を実質的に創始した人物としての評価が、この位置での像の存在にも繋がっているのだろう。

ゲディミナスがトラカイに居城を構えていた14世紀初頭、狩を終えたゲディミナスは狼が丘の上で大声で吠える夢を見たという。
その夢の内容を賢者に伝えたところ、力強い狼は丘の上に都市を築く者を表していると助言を受け、現在のビリニュスに遷都するに至ったという逸話がある。

大公宮殿のすぐ東隣にはビリニュス大聖堂が建っている。
13世紀に最初にリトアニアを統一したミンダウガスが、カトリックを受容したという歴史を物語る物証でもあるが、現在残る大聖堂は18世紀に建てられた。

3. ビリニュス大学と聖三位一体教会

大公宮殿とビリニュス大聖堂を擁する大聖堂広場を抜け、南にあるビリニュス大学へと向かった。

南側の門からは高い塔が見え、その歴史を感じさせるものだった。
1364年に設立されコペルニクスを輩出したポーランドのヤゲウォ大学ほどではないが、ヨーロッパの中央以東では有数の歴史と言える1570年代に設立されたという。

18世紀末の第3次ポーランド分割においては、その領内であったリトアニアも分割対象となった。
ロシア、プロイセン、オーストリアの三国による分割においてロシア領とされたビリニュスでは、このビリニュス大学でも独立運動などが行われたようだ。
そのため、19世紀前半から20世紀前半に至るまでビリニュス大学は閉鎖をされていた。

その後もポーランドによるビリニュスの占領や、ドイツによるポーランド侵攻など、大学としてのみならずリトアニアとしての苦難の歴史を歩んだ。

時刻も15時近くとなり、ビリニュス大学から南下して旧市庁舎方面に向かった。
夜明けの門から開始して南から反時計回りに巡ってきたが、ほとんど見所は回ってきたように思う。

途中にあった正教会の広場では土産物屋が密集しており、見て回るには楽しい雰囲気。
ただ、旧市街を歩いていて飲食物を買えるような店は少ないと感じた。
7月の暑い中だったため、水分不足で頭も少し痛くなった。

旧市庁舎は、以前には裁判所や刑務所としても使用されていたようだが現在はそうした用途で使用されているわけではないようだ。
北側に広がる広場がイベント会場のようになっており、手芸品や工芸品を売っている店屋歌を歌う舞台のような場所などたたくさんあった。
観光としては特に見るものは無いように思う。

旧市庁舎から更に南下し、万聖人教会へ。
オールセイント教会というカタカナ表記の方がしっくりくるかもしれない。

17世紀に建てられたカトリック教会で、カルメル会が管理している。
隣にはカルメル会の修道院もあるが、来る時間が少し遅かったせいか教会の中に入ることはできなかった。
日本に帰ってから調べて判ったことだが、訪問時間が悪かったというよりは基本的に閉まっている教会のようだ。

最初に見逃した聖三位一体教会がビリニュス旧市街の最後の見所となった。
本来は夜明けの門から入ってすぐの位置なので最初のほうに見られたはずなのだが、完全に失念して結果的に最後になってしまった。

聖三位一体教会は、東方典礼派に属している教会である。
東方典礼派は東方帰一派とも呼ばれ、ローマ教皇とその教義といったカトリックの一部を受け入れながらも儀式は東方正教の形式を残しているという折衷の会派であり、リトアニアが地理的・宗教的に西ヨーロッパとロシアの間にあることを反映していると言える。

ビリニュスに存在するこれら建造物を含む古い街並みは『Vilnius Historic Centre(ビリニュスの旧市街)』として世界遺産に登録されている。
中世の東ヨーロッパにおいて数世紀にわたり建築・文化面での礎となったとして登録基準(ⅱ)価値観の交流を、豊かな多様性を持った建築物は5世紀もの間に有機的に進化したヨーロッパの街並みの特筆するべき事例であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たす。

朝10時くらいにビリニュスに到着し、16時くらいまでの短い時間ではあったが旧市街を一周することができた。
ケルナヴェ遺跡に行くことができないのは残念ではあったが、再びビリニュスに来る動機になると思うと悪くは無いだろう。

 

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