ジョージア旅行記 トビリシとムツヘタ(2018年4〜5月)

2018年のGWは、ジョージア(グルジア)~アルメニア~ウクライナ~ベラルーシ~アゼルバイジャンを旅行しました。
それぞれの国ごとに訪問場所をご紹介します。

まずは2015年に日本国内での国名がグルジアから改められたジョージアです。
カスピ海と黒海を東西に繋ぐコーカサス山脈(カフカス山脈)は、アジアとヨーロッパの地理的な分岐点とされ、コーカサス山脈の南部に位置するジョージア・アルメニア・アゼルバイジャンを総称して一般的にコーカサス3国と呼ばれます。

その中でジョージアは、長らくロシア語発音に由来して日本国内ではグルジアと呼ばれていましたが、2014年の両国首脳会談でジョージア読みを提起され、正式に国名表記として採用されました。

【目次】
1. ジョージア基礎情報
2. ジョージアへ
3. トビリシ
4. ムツヘタ

1. ジョージア基礎情報

人口 :400万人
面積 :69,700平方キロ
首都    :トビリシ
公用語:ジョージア語
時差 :UTC+4(日本から5時間マイナス)
通貨 :ラリ(GEL)
レート:GEL1=JPY44.9(2018年6月15日時点)
ビザ :1年以内の滞在の場合はビザ不要(2018年6月時点)

2. ジョージアへ

今回の一連の航空券は出発1年前の2017年5月に、ANAとスターアライアンスパートナーの特典航空券として取ったもの。
もともとはイスタンブールでの乗継時間が少ないスケジュールだったのでモルドバも入れていたが、のちにフライトスケジュールが変更になったためにイスタンブール乗継時間が長くなり、モルドバは諦めざるをえなかった。

4月28日(土)、朝9時台の関空発北京行きに乗った。
朝早いのでプライオリティパスのぼてじゅうを利用する時間もなし。

正午に北京に到着したが、次のイスタンブール行きは12時間後発。
空港にいても仕方がないので、何度も来てはいるが中国に入国してエクスプレスとメトロで北京中心部の王府井に向かった。
サソリや芋虫の串などを眺めながら歩いたが、特に買って食べたりはしない。

王府井から故宮博物院まで歩いて見学し、裏手にある景山公園に登った。
ここからは南に故宮の全景を高台から見ることができる。
よくテレビなどで使われるアングル。
4月下旬とはいえ既に非常に暑かったので、北京散策はこれくらいで切り上げ、夕方には北京空港に戻ってきた。

北京空港のラウンジで時間を潰し、翌日4月29日(日)0時10分北京発に乗ってイスタンブールに向かう。

朝5時台にイスタンブールに到着したが、ここでも乗り継ぎで約8時間待ち。
せっかくなのでメトロとトラムでカラキョイ方面に行き、7時前にもかかわらず多くの釣り人でにぎわうガラタ橋を渡って旧市街に入った。
旧市街側のガラタ橋たもとでおなじみのサバサンド、とうとうTL10にまで値段が上がっていた。
ここ6年で3倍以上の値上がりペース。

さらに旧市街を歩いてハギアソフィアまで来たが、9時の開館を前に既にチケット売り場には長蛇の列ができていた。
GWだけあって日本人が多く、また、日本語を話す怪しい外人も多い。

ここに限らないが、国外でいい歳した大人が朝昼晩問わず日本人に声をかけているというケースは、まずは無条件に怪しいと疑うべきだと思う。
全員が全員怪しいと決めつけるのも極端かもしれないが、普通であれば仕事を本来している時間になぜそのような声かけをして生活が成り立つのかを考えれば明らかではないか。
仮にガイドだとしても、わざわざ怪しまれるこんな声かけをしなくても、もっと打率が高い方法でできるはずとも思う。

ブルーモスクことスルタンアフメトジャーミーは補修工事中で、中には入れず今回は外観だけ。
来るのがあと1ヶ月遅かったら修理が完了していたもよう。
少し久しぶりに来たのに残念。

そうこうしているうちに10時くらいになったので空港に戻ることにした。
トラムの何駅かを歩いて戻りながら、最寄駅に列車が来たタイミングで乗った。
朝は曇っていた空が晴れてきていたが、残念ながらイスタンブールとを後にする。

空港ではしばらくトルコ航空のラウンジで休んだ。
2014年のリニューアル以降初めて来たが、噂にたがわず広く充実の設備だった。

3.  トビリシ

13時過ぎのイスタンブール発に乗り、16時過ぎに目的地であるジョージア(グルジア)の首都トビリシに着いた。

北京で12時間、イスタンブールで8時間の乗り継ぎ待ちという乗り継ぎの悪さのため、自宅を出てからトビリシ着まで約40時間。
トビリシ空港からはバスに乗って1時間弱かけて市街の中心部にやってきた。

まだ日が高いので、ホステルに向かう途中で教会を2箇所ほど見学して回る。
まずはムトゥクヴァリ川湖畔の崖上に立つメテヒ教会。
5世紀にトビリシを開拓したイベリア王国の王、ワフタング1世の騎馬像を擁する。

その騎馬像からは川を挟んだ向かいのナリカラ要塞が山の上に見える。
5世紀頃には要塞として使われていたが、19世紀に火薬庫の爆発により建物が損傷したという。
ブダペストのブダ城もそうだが、火薬庫としても使われる建物が当時のまま現存というのは難しいことなのだろう。

疲れも溜まっているが、宿に着いてしまうと出かける気力がなくなってしまうと考え、そのままバックパックを担いでゴルサガリ広場へ。
色々と食べ物の出店があるが、イスタンブールのラウンジで食欲は満たされていたために食指は動かなかった。

そこから5分くらい歩くとシオニ大聖堂。
7世紀前半に完成したものの、その後破壊と再建を繰り返したもの。

宿までは徒歩10分くらいなのでチェックインし、2時間ほど仮眠をして夜の街に出た。
2日ぶりくらいにリュックをまともにおろして歩き回れるため体が軽かったが、あいにくの土砂降りで遠くまでは行けなかった。
適当に近くで夕食を済ませて、早めに寝た。

4. ムツヘタ

旅程3日目の4月30日(月)、まずは宿泊していたホステルにドライバーをお願いした。
そのままトビリシから北上し、車で1時間弱のムツヘタに到着。

ムツヘタは紀元前4世紀に興ったイベリア王国の首都で、『Historical Monuments of Mtskheta(ムツヘタの歴史的建造物群)』として世界遺産登録されている。
コーカサス地方のキリスト教伝搬の様子を伝えるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、および18世紀までのコーカサス地方の建築の変遷を残すとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観が認められている。

4世紀初頭のミリアン3世によるキリスト教国教化にあたっては、同時期にカッパドキアからこの地域にやってきた聖女ニノの存在が大きい。
ニノは狩猟中に失明したとされるミリアン3世を導き、その2番目の妻であるナナの勧めによりキリスト教が国教化された。
ムツヘタの街に建つスヴェティツホヴェリ教会は、ミリアン3世による国教化の際に建てられた木造教会の場所に造られた聖堂で、石造の現存する聖堂は11世紀に再建されたもの。

中には大きなキリストのフレスコ画が描かれている。
かつてキリストが処刑された際に着ていた衣服の一部を手に入れて嬉しさのあまり亡くなったシドニアがここに埋葬され、後に木が生えてきた。
聖堂を建てるために伐採したところ木が浮き上がったままになってしまったため、ニノが祈りを捧げて地に降ろしたという伝承も残る。

続いて、ムツヘタ市街から少し離れた山の上に建つジュワリ聖堂へ向かった。
時間の経過とともに少しずつ観光客も増えてきているが、相変わらず空は曇ったまま。

内部は質素なつくりで15平方もないくらいの狭いスペースだが、地元民と思われる女性が多い。

ニノの祈りにより木が着地し、同時にあらゆる病を治す樹液が分泌されたという逸話のイコン。
木の根元に倒れているのが、キリストの衣を手に入れて亡くなって埋葬されたシドニアを示している。

しばらく見学してから外に出ると、やっと青空が見えてきた。
塀の上に上って写真を撮っている観光客が多くいたが、自身は自粛した。
自撮棒に気を取られて落ちないか、見ている方がハラハラする。

その後、ドライバーと共に来た道を南下してジョージアとアルメニアの国境に向かった。

 

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