チリ旅行記 (3) キャンセル座席入手とラノ・ララク&アフ・トンガリキ観光(2017年8月)

2017年8月にペルー~エクアドル~チリのルートを回りました。
ペルーではマチュ・ピチュ、エクアドルではガラパゴス諸島、チリではイースター島がメインで、南米太平洋側の周遊です。

チリのサンチアゴからイースター島へのフライトで、前段のフライトが送れたために本来予定していた便に乗れず、キャンセル待ちをしていました。
日程の限られる社会人旅行の辛い部分ですが、2日待って何とかフライトの空きが入手でき、イースター島に上陸できました。

【目次】
1. イースター島へ
2. ラノ・ララク
3. アフ・
トンガリキ

1. イースター島へ

8月19日(土)、空港近くのホテルからシャトルバスに乗って朝8時頃にサンチアゴ空港に到着。
キャンセル待ちをしているイースター島までのフライトの出発1時間前である8時半過ぎにLATAM航空のカウンターへ向かった。

すると、意外なくらいあっさりと1時間後のイースター島行きチケットを渡された。
当日乗る予定だった乗客がチェックインに来なかったため、急遽空席が生じたため。
しかも、もともと持っていた旅程変更不可の安いチケットの旅程変更という扱いで取ってくれ、追加費用もかからなかった。

あまりに普通にチケットを渡されたので、本当にこれでイースター島に行けるのか何度も確認をしてしまった。
間違いなく席が確保できたと喜んだのもつかの間、復路は取れていないという。

1日1便、しかも200席強のフライトしかないイースター島で往路のチケットだけを持って現地に飛ぶことは、帰りがいつになるのか解らないリスクを伴う。
さすがにその状況では出発できないので、出発まで1時間を切った緊急事態の中、LATAM航空の別カウンターに行って大急ぎで事情を説明し、復路便が無いのか交渉した。

結果、2日後のビジネスにぎりぎり2席の空きがあるという。
当然ながら新規購入となるが、片道USD645(約72,000円)。
ここで購入手続きをする時間がないので実際の購入はイースター島着後という条件で予約番号だけもらい、出発ゲートに大急ぎで向かった。

この時点で本来のイースター島着8月17日(金)が8月19日(日)となり2日遅れてしまったが、絶望視していたイースター島訪問が果たせる喜びの前には旅程遅れという懸念は0に等しかった。
チリ本土からイースター島までは3,800km以上あり、フライトに5時間半ほど要した。

14時頃にイースター島に着き、空港で入島税USD80(約8,900円)の支払い。
空港から外に出ると、事前にお願いをしていた日本人ガイドと合流できた。
本来の旅程よりも2日遅れたが、状況を逐一電話連絡していたため、遅れた日程でもガイドをして頂けることになっていた。

まずはLATAM航空のカウンターに行き、サンチアゴで予約した2日後のビジネス帰路便の予約が確かにされていることを確認した。
料金をその場で支払うよう言われなかったので、もしや元のエコノミーチケットの変更で対応してくれたのだろうかと淡い期待を持ちながらガイドと再合流。

2日遅れたことでもともと予約していた宿が無効になっているため、宿も一切予約していない状態でイースター島に来てしまった。
その旨を日本人ガイドに説明すると、ガイドが所属しているホテルO’TAIをディスカウントでオファーして頂けた。
非常にありがたく、ほぼ即決で2泊させて頂くことにした。

お世話になった日本人ガイドの方はイースター島ブログも運営されており、今も定期的に拝見している。
我々のことも採りあげて頂いた。

2. ラノ・ララク

空港から直接、車で島東部のラノ・ララク観光に向かった。

6世紀くらいから製造が開始されたと考えられているモアイは、さながらモアイ生産工場とも言えるラノ・ララクで作られ、島の各地に運ばれていった。
細長いそのフォームからは往年の名作グラディウスを思い出してしまう。

ラノ・ララクのモアイは地中に埋まりながらも立っているわけだが、島のその他の場所のモアイは全て近代になって建て直されたもの。
島にある約900対のモアイのうち、ラノ・ララクには約400体が存在する。

ラノ・ララクは凝灰岩でできた山の中腹にあり、太平洋が一望できた。
チリ本土への距離は約3,800kmだがタヒチまでも約4,000kmあり、まさに孤島の雰囲気を感じることができる。
風が非常に強く、台風のような風が吹く中で観光した。

まるで製造現場のように、ラノ・ララクでは様々な製造工程毎のモアイが放置されているため、どのように作ったかは詳細に判っているようだ。
イースター島最大のモアイであるテ・トカンガも彫りかけの状態で残っており、完成していたら21.6mもの大きさになるはずだった。

ごく初期に造られたとする正座モアイもある。
ノルウェ-の考古学者ヘイエルダールが掘り出したもので、トゥク・トゥリと呼ばれている。
『トゥク』は位置、『トゥリ』は座るという意味らしい。

3. アフ・トンガリキ

ラノ・ララクから更に車で3分ほど東に走ると、アフ・トンガリキに着く。

1960年のチリ地震の津波で流されたものの、その後日本の建設会社の協力によって1993年~1995年にかけて再建された15体のモアイが海を背にして立っている。
イースター島で最も象徴的な光景ではないだろうか。

バブルの頃に油圧式クレーンで儲けた会社が、社会貢献の一環として取り組んだものらしい。
社長のトップダウンでは社員のモチベーションが上がらないため、社長は世界ふしぎ発見で倒れたモアイの映像を流すことを考えた。
そして、映像を見た黒柳哲子が『どこかに助けてくれる会社があればいい』という趣旨の発言をし、それを社員がたまたま見て社員側から援助の発案させる体を取った、とは現地日本人ガイドの解説。

1970年の大阪万博で来日したモアイもアフ・トンガリキにある。
2025年に55年ぶりに開催される大阪万博での再訪はあるのだろうか。

午後の半日観光の最後はアフ・ビナプに向かった。

アフ・ビナプには精巧な石組みと比較的雑な石組みが残っている。
ペルーのクスコを見てから来たので、その類似性から南米との関連を想像したくなるが、よく判っていないらしい。
ちなみに『アフ』は台座を表す。

精巧な方が時代が古く、新しい時代になると台座よりもモアイ製造に力を注ぐようになったために台座は少し雑になっていったのだとか。

観光を終えて中心地のハンガロアに戻った。
中心と言っても、マチュピチュの起点アグエスカリエンテスやガラパゴスの中心地プエルトアヨラに比べてかなり静か。

ガイドに色々と教わった店のうち、Club Sandwichという手軽なハンバーガー屋で夕食をとった。

黙っていても世界から観光客が訪れる超優良なビジネス環境の割に、2人でUSD20(約2,200円)で済むのが良かった。
具入りのパイ生地料理エンパナーダも美味しい。

連日のフライト交渉で着かれていたのと、WiFi環境が著しく悪いために夕食後は早めに就寝した。

 

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