エジプト旅行記 (1) ギザとサッカラのピラミッド観光(2018年12月)

2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
自身にとってはとうとう広義の100ヶ国目を迎える記念すべき旅行でした。
まずは、このタイミングまで残っていることが逆に不思議なエジプトからです。

【目次】
1. エジプト基礎情報
2. エジプトへ
3. ギザの3大ピラミッド
4. サッカラのピラミッド

1. エジプト基礎情報

人口  :9,151万人
面積  :1,002,000平方キロ
首都     :カイロ
公用語:アラビア語
時差  :UTC+2(日本から7時間マイナス)
通貨  :エジプトポンド(EGP)
レート  :EGP1=JPY6.21(2019年1月28日時点)
ビザ    :日本人は滞在日数が30日以内であれば空港でビザ取得可能(2019年1月時点)

2. エジプトへ

12月28日(金)、有給で1日早い休暇に入って京都駅に向かった。
年末年始の休暇をエジプトなどの周遊で過ごすため。

事前に予約していた関空行きのバスに乗ったが、道路上の事故で予定よりも40分ほど遅れて10時半に関空に到着した。

バスの乗客の中にはこれからフランスに向かうという若い女性がおり、予定通りの関空着でもチェックイン期限である出発1時間前に間に合うかどうかという状況だと、乗る際に運転手に話をしていた。
バスの関空着は40分遅れたわけで、通常で考えれば乗り過ごしたものと思われる。
不測の事態もあるわけで、余裕を持った出発の意識を改めて持った。

関空に着いてから、いつものようにプライオリティパスを使うためにぼてぢゅうに急いで向かうと、待ち時間無しですぐに入ることができた。
いつもは数組くらい前にいて待つのが普通で、これだけスムーズに入れたのは初めて。
ミックスモダン(税抜1,380円)、たこ焼き6個(税抜600円)、唐揚げ(税抜580円)、ポテトフライ(税抜380円)で税抜合計2,940円の組み合わせにしたが、1人で食べきるには辛かった。
もう少し事前検証を入念にして、高額メニューを入れてもいいかもしれない。

その後、非制限エリアの大韓航空ラウンジで少し仕事をしてから出国審査を通り、ANAラウンジでくつろいでいると、今回の旅の最初の便である関空発~杭州着便が遅れるとのアナウンスがあった。
結果的には40分遅れで、現地16時前に杭州に到着。

杭州空港では、北京への便のチェックインをするために国際線ターミナルから国内線ターミナルに移動した。
中国国際航空はなぜか、いつも自動チェックイン機がうまく使えないのだが、今回もやはりそうなってしまう。
係員が手伝ってくれたものの、それでもうまくいかずに有人カウンターに連れて行かれた。

中国国際航空のラウンジが混んでおり水すら飲むのが大変だったが、便自体は予定通り杭州を発ち、20時20分に北京に到着した。
予定通りは嬉しいのだが、次の北京発~カイロ着の便のチェックインカウンターが開くのは21時半。
1時間ほど待ってできたチェックインでは、もともと取っていた非常席の中央ではなく端への変更を提案してくれて良かった。

チェックインと出国を済ませ、BGSプレミアラウンジでシャワーを浴びてから中国国際航空のラウンジで時間を潰した。
BGSプレミアラウンジは料理数が少ないながらも美味しいものが多く、シャワーもあるので非常に重宝している。

24時に搭乗が開始され、翌12月29日(土)の0時半に北京を出発した。
非常席にも関わらず、緊急時手伝いの意思確認や、そもそも安全ビデオの上映すらなかった。
初めてのケースかもしれない。

3. ギザの3大ピラミッド

エジプトのカイロには予定通り、朝の5時半に着陸した。
アライバルビザの列に並ぶ前にUSDを現地通貨のEGP(エジプトポンド)に両替してしまったが、そもそもビザはUSDしか受け付けていなかったのでそのままビザの列に並ぶべきだった。

ビザは何も申請書は要らず、とにかくUSD25(約2,750円)を支払いさえすればよい。
買い物をするのと何ら変わらない。
なお、ビザの向かって左側にある両替コーナーは空港ながらもUSDの場合は売買スプレッドが0.5%以内と良好だった。

エジプトの入国審査を終えて6時半には空港の外にでることができた。
ところが、ベニス細川家ホテル経由で事前に依頼をしていたガイドが見当たらない。
電話も繋がらず困っていたが20分ほどしてドライバーが現れ、日本人旅客計3人でいったんはベニス細川家ホテルに向かった。

ホテルでは、急遽別の日本人も自分と同じ旅程でピラミッドを回りたいということになったので、一緒にドライバー貸切でギザ~サッカラ~ダハシュール~メンフィスを回ることになった。
1名あたり4,800円と、他の国に比べると非常に安い。

もちろん現地人との直接交渉よりは高いのだろうが、時間の節約ができるということや得られる経験から比べると大きな値打ちがある。
このあたりはある程度割り切らないと、時間の限られる社会人旅行は辛くなると思う。

ホテルを出て、朝食と水を買ってドライバー、同行の日本人とともに専用車に乗り込んだ。
路上で買ったピザ風の朝食はEGP4(約24円)と、ミンティア10粒くらいの金額で買える。

ギザまでは車で40分ほど。
8時半に3大ピラミッドのチケット売場に到着した。

チケット売場はクフ王ピラミッド側(北側)とスフィンクス側(東側)の2ヶ所あるが、クフ王のピラミッドに入る場合は北側でしか売っていないので注意が必要。
通常の入場料はEGP160(約990円)で、クフ王のピラミッドに入る場合は追加費用が必要だが、費用よりはおそらくチケットが買えるかどうかの方が問題。
人数が限定されているため。

遺跡の敷地に入ると早速、クフ王のピラミッドの前に出る。
世界で最も有名な石造建築物の1つであるクフ王のピラミッドは、1辺約230m、高さ約140mでエジプト古王国時代第4王朝期に作られた。
クフ王は第4王朝2代目の王で、時代は紀元前26世紀に当たる。
狭義のインダス文明の興りとほぼ同時期と考えると解りやすい。

裏に回りこむと太陽の船博物館があるが、なぜか閉まっていた。
仕方なく、もと来た道を戻ってカフラー王のピラミッドに向かった。
カフラー王もクフ王と同じく第4王朝期の第4代王であり、先代のジェドエフラ王と同じくクフ王の息子である。

1辺約215mとクフ王のピラミッドよりも若干小さいが、現存する高さは頂上が崩れてしまったクフ王のピラミッドよりも数m高い。
更に、クフ王のピラミッドよりも少し高い位置に作られていることや3大ピラミッドの真ん中にあることから存在感は大きい。

カフラー王のピラミッドの西には、かの有名なスフィンクスが鎮座する。
カフラー王の時代に作られたものとされる、ピラミッドを守る聖獣。
スフィンクスと対峙すると、向かって右からクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが丸で一直線に並んでいるように見える。

スフィンクスの視線の先には、遺跡の入場口越しにケンタッキーフライドチキンとピザハット。
はじめはスフィンクスを見て満足してもと来た道に戻ろうとしてしまったが、途中で思い出して戻って見た。

存在自体は非常に有名だが、初めて実物を見た。
こんな立地条件が良い場所に語り継がれるくらい長く存在するので、よほど客の入りがいいのだろう。

帰る頃には天気が少し良くなっており、クフ王のピラミッドも往路とは印象がかなり違う。
途中で単独行動の日本人の方から話しかけられ、現地人からクフ王のピラミッド内部に入るツアーを提示されて金額を払ったものの内部には行けず騙されたとの話をされた。
よくある話ではあるがゆえに現実に被害にあった方をあまり見ないので、その点で生の話は良かった。

遺跡を出てドライバーと合流し、パノラマポイントまで連れて行ってもらった。
歩いても行くことができるが、1日貸切なので時短で行く。

パノラマポイントからは3大ピラミッドが見渡せる。
向かって右からメンカウラー王、カフラー王、クフ王のピラミッドだが、スフィンクスはカフラー王の裏側にあるため、ここからでは見ることができない。

メンカウラー王のピラミッドの高さは他の2つのピラミッドの半分弱と小さく、一般的によく知られる大ピラミッドの中では最も新しい。
新しいといっても、祖父のクフ王、父のカフラー王と同時期の紀元前26世紀に作られた。

車で再びスフィンクスへと戻ってきた。
欠けた鼻はアラブ支配時代の砲撃によるもので、また、本来は付いている長いあごひげはカイロ博物館などにその破片が収められているという。
表面の凹凸は、岩盤を彫ってスフィンクスを形成した後に地層毎の硬さの差が風化の差として現れたもの。

4. サッカラのピラミッド

10時半過ぎにスフィンクスを出発し、車で40分ほど走るとサッカラに着いた。
入場料はEGP150(約930円)。

ウナス王のピラミッドが建てられたのは、古王国第5王朝の最後の王の時代。
ピラミッドというよりは丘のような外観の損傷が激しい。

紀元前24世紀のものであり、紀元前26世紀のギザの3大ピラミッドよりも新しい。
しかしウナス王のピラミッドは、時代が巨大なピラミッド建造の最盛期を過ぎたことを語っている。

ガイドブックには内部の見学はできないと書いてあったが、問題なく入ることができた。

サッカラで最も目立つ階段ピラミッドは歴史上初めてのピラミッドと言え、古王国第3王朝2代王のジェセル王により建てられた。
建造時期は紀元前27世紀であり、ジェセル王時代の宰相であるイムホテプによる設計とされる。

ジェセル王は、それまで作られていた長方形墳墓であるマスタバではなく、新しい墓を作るようイムホテプに命じた。
イムホテプはマスタバを基礎に水平方向に拡張し、続いて垂直方向にも一回り小さいマスタバを建造することを繰り返し階段ピラミッドを作った。

ここからわずか1世紀後には巨大なギザの3大ピラミッドが建造されたということになる。
数千年も前の話だと100年の差はさしたるものではないように思えてしまうが、このような事例は歴史的な目を修正するのに非常に意味がある。

周辺の壁では修復作業が行われていた。
白衣を着た医者のような格好で、想像と違う。

昼前にサッカラを出て、赤のピラミッドや屈折ピラミッドを見るためにダハシュールに向かった。

 

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