レバノン旅行記 (2) フェニキア都市シドン・ティルスとカディーシャ渓谷の神の杉(2019年1月)

2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
2019年始にレバノンに入り、観光初日の午前はバアルベックとアンジャルを観光しました。
今回は、午後に訪れたフェニキア都市と翌日午前のカディーシャ渓谷の記録です。

【目次】
1. シドン
2. ティルス
3. カディーシャ渓谷と神の杉

1. シドン

1月2日(水)、午前にバアルベックとアンジャルの観光をして、アンジャルから車で2時間ほどの街サイダーに到着した。
道中の2時間ほどの間、天気は晴れやら雨やらめまぐるしく変わった。
レバノンが起伏に富んだ土地ということが大きいのだと思う。

サイダーは現代の呼び名で、かつてはシドンと呼ばれていた。
シドンは紀元前15世紀頃から地中海貿易で活躍したフェニキア人が築いた都市のうちの1つで、紀元前11世紀頃に貿易で最盛期を迎えた都市としてよく知られている。
その後は古代イスラエルの影響下に置かれ、紀元前7世紀にはアッシリア、紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャの支配を受けた。
その後も様々な支配体制を経験したため、残念ながらフェニキア時代の遺跡は基本的に残っていない。

紀元前9世紀、古代イスラエル王アハブの皇后イゼベルを生んだ街がシドンである。
イゼベルはイスラエルの人々にとっては異教の神であるバアルを信仰させただけではなく、ユダヤ教の迫害もした。
そのため、城から突き落とされて犬に食い殺されるという最後の様子が旧約聖書にも描かれている。
シドン出身者の中で最も有名な人物かもしれない。

地中海に面して建つ海の要塞は、13世紀の十字軍時代に作られた。
入場料はLBP4,000(約290円)。

シドンは、紀元前4世紀にはアレキサンダー大王の支配を受けた。
アレキサンダー大王没後にはディアドコイ(後継者)たちの政争により、セレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトの時代を経て紀元前1世紀にはローマのシリア属州となったが、7世紀以降にはウマイヤ朝などアラブ勢力の台頭が進んだ。
一方で12世紀にはこの地を十字軍が取り返し、十字軍時代に建てられた要塞が海の要塞なのだそうだ。

道路を1本挟んで、要塞の向かいにはオールド・スークが広がっている。
地元の人も観光客も来るような場所だそうだが、観光客が欲しいと思えるようなものはあまり無いように思えた。
なお、アラビア語圏では数字表記を覚えておかないと非常に不便なのだが、自分はいつも6以降を忘れてしまうので毎回覚え直している。

2. ティルス

シドンを発ってからドライバーの車で約1時間、15時前にティルスに到着した。
バアルベック、アンジャル、シドンと回り、本日の最終訪問地となる。

フェニキアの時代にはティルスと呼ばれていたこの街は、現在スールと呼ばれている。
現在のティルスには、その後にこの地を支配したローマの列柱が残っており、入場料はLBP6,000(約440円)。

シドンと同じように地中海貿易で栄え、ティルスは紀元前9世紀末に現在のチュニジアにカルタゴを建設した。
本国とも言えるティルスはその後、紀元前7世紀のアッシリアやカルデア(新バビロニア)による支配を受けながらも、たびたび反乱を起こした。
ティルスは紀元前4世紀のアレクサンダー大王の支配を受ける中、カルタゴは紀元前2世紀中盤の第3次ポエニ戦争まで独立を保った。

なお、ティルスはアレクサンダー大王の侵攻に対して徹底抗戦をはかった。
沖合いに浮かぶティルスの要塞を撃破するため、アレクサンダー大王は半年以上かけて陸側から海を埋め立てて埠頭を築き、その先端から大砲で砲撃を行い、崩れた城壁から内部に侵入した。

シドンが自ら開場したことと対照的で、軍事的衝突の末に陥落したティルスはアレクサンダーの軍勢に蹂躙されたのだという。
アレクサンダー大王が築いた埠頭は土砂の堆積を促し、現在は陸とティルス要塞のあった島は陸続きになっている。

続いて、車で10分程度の距離にあるローマ時代の競技場に向かった。
ローマ列柱の入場料と同じくLBP6,000(約440円)。

アレクサンダー大王没後にセレウコス朝シリアの支配を経てローマのシリア属州となったティルスには、ローマ人の墓地遺跡も残っている。
遺跡の入口から近い範囲はよく整備されており、広大な遺跡ながら歩きやすい状況が保たれていた。

ただ、奥に進むに従って石畳に覆いかぶさる草が行く手を阻むようになり、歩ける状況ではなくなってくる。
奥は崩壊が激しく、見るものもあまり無さそうだったが、端まで行こうと歩いていると突然異臭を感じた。

それでも進んでいくと、吐き気をもよおす臭気になってきた。
注意深く行く手を見ると、草の下に見える石畳に野良犬の腐乱死体が転がっている。
温暖な気候もあいまっておぞましい状況になっている上に観光客もほぼいない不穏な雰囲気なので、もと来た道を辿った。

脇には広大なヒッポドローム(戦車競技場)もあり、中央にはオベリスクも建っていた。

ティルスはカルタゴを建設した以外にも、世界史に大きな足跡を残した。
アルファベットの起源となるフェニキア文字は、ティルス王アゲノルの息子カドモスがギリシャ世界に伝えたものとされている。
フェニキア文字に母音を加えてアルファベットの体系を整えたギリシャの功績は、アルファベットの名称の由来がギリシャ文字のアルファとベータに由来することにも表現されている。

また、カドモスはゼウスにさらわれた妹エウロペを探す過程でギリシャの都市テーバイを建設し、エウロペはヨーロッパの語源ともなった。
ギリシャ神話上の話なので部分的には全てが真実というわけではないとはいえ、このように現代でも毎日見聞きするものの源流がティルスにあることは非常に興味深い。

これらの遺構は『Tyre(ティルス)』として世界遺産に登録されている。
地中海から富を集積したティルスの大きな影響力を表すとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、フェニキア人がカドモスなどギリシャ神話にカドモスなど様々な英雄をもたらしたとして登録基準(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの、の登録基準を満たしている。

競技場を出る頃には、16時を回っていた。
ドライバーが機転を利かせてバアルベック、アンジャル、シドン、ティルスの順で回ってくれたことは非常に助かった。
これが逆だったら、ティルスでいきなりたくさんの時間を使い、おそらく1日のうちにバアルベックには行けなかっただろう。

ティルスからはベイルートまで車で2時間ほどだった。

ベイルートに着く頃にはかなりの雨が降っている上に完全に暗くなっており、遠くに出歩くことはせずホステル近くの商店で水と簡単な食料を買うに留めた。

3. カディーシャ渓谷と神の杉

翌日1月3日(木)、朝5時に起きてホステルのチェックアウトの準備をした。
1泊USD18(約2,000円)のホステルだったが、チェックイン時に預けていたデポジットUSD10(約1,110円)の返却を受けるタイミングがなく諦めざるをえなかった。

7時前にホステル前でドライバーと合流し、カディーシャ渓谷に向かう。

渓谷の入口へはベイルートから車で1時間ほどで、くねった道を進んでいくことになる。
途中で田宮模型の販売店を見かけ、日本のサブカルチャーの根強さを感じた。

その後も海沿いのベイルートから徐々に高度を上げ、いつの間にか標高は1,000mを越えていた。

高度をさらに上げるに従い、道は雪深くなり車の往来も少なくなった。
ドライバーは頻繁に事務所と連絡を取りながら運転を進め、何とかレバノン杉の群生地に到着することができた。

ドライバー曰く、冬といえどもここまで雪が多いことはそう多くなく、ましてやこんな季節にレバノン杉を見に来る観光客はまずいないのだそう。
たまたまこの日は他にもレバノン杉を見たいと言ってドライバーを雇った観光客がいるようだが、雪に阻まれてここまで来ることはできなかったらしい。

道の脇には現存するうち2番目に大きなレバノン杉が生えており、この周辺にだけ土産物やカフェが密集している。

土産物の反対側には、レバノン杉の森が広がっている。
夏であれば散策ができるようだが、この状況なので入場はできなかった。
個人的には極めて興味の強い世界遺産なので再訪したいと思う。

レバノン杉の存在は、フェニキア人を地中海貿易の主役に押し上げた。
神の杉とも呼ばれるレバノン杉は、実際には松の一種ではあり、美しい木目や強い芳香が特徴とされる。
そのため、エジプトやギリシャなどをはじめ貿易の主要な輸出品となった。

一方で伐採が著しく進み、現在は1,200本ほどしか残っていない。
神の杉の森の番人であるフンババが英雄ギルガメッシュに討たれる様子は、紀元前20世紀以降にシュメール文明圏で成立したギルガメッシュ叙事詩に描かれている。
レバノン杉の貴重さが、こういった記載からも垣間見える。

レバノン杉の見学を終えて、再びカディーシャ渓谷まで下る。
神の杉の森を離れて間もなく、標高1500mの標識を見た。
短時間でアップダウンが大きく、耳で気圧変化がわかるほど。

一帯はBecchare(ブシャーレ)と呼ばれるエリアで、7世紀以降にイスラム教徒と対立して移住してきたキリスト教マロン派の人々が住んだ。
レバノンの人口の半数強がイスラム教徒、半数弱がキリスト教徒であるが、キリスト教徒のうち大部分はマロン派が占めている。
マロン派はビザンツ時代にカトリックから分派したものの、現在は独自の祭礼様式を持ちながらカトリックに帰属するという形をとっている。

さらに谷を下ると完全に雪が消え去った。
渓谷とレバノン杉の森は『Ouadi Qadisha (the Holy Valley) and the Forest of the Cedars of God (Horsh Arz el-Rab)(カディーシャ渓谷と神の杉の森)』として世界遺産登録されている。
カディーシャ渓谷が修道士の安住の地であるだけでなく古代の貴重な建材だったレバノン杉の森が残っているとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、初期のキリスト教拡張期の修道院が立ち並んでいるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たしている。

次の目的地であるビブロスに向かう途中、ドライバーが1件の店で車を止めた。
出発が朝早かったので、ご飯を食べようと言う。

ハーブとオリーブの刻みを生地で包んだマンウーシはレバノンの名物らしい。
オリーブなので非常に食べやすく、おいしく頂いた。
作ってくれたおばちゃんは、衛生面の配慮なのか髪を紙帽子で覆っている割には代金のコインを受け取ったその手でオリーブをすくっている。
自分は全く気にしないのだが、配慮の方向性が微妙で面白かった。

食事を終え、レバノン最終目的地のビブロスへ向かう。

 

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