キプロス旅行記 (2) パフォスとラルナカ(2019年1月)

2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
キプロス観光の初日は、ラルナカからヒロキティア遺跡とレメソス(リマソール)を経由し、パフォスまでやってきました。
昼前後にかけてパフォス遺跡の観光を終えたので、残り時間でパフォスの散策へ向かいました。

【目次】
1. キリキア教会とパウロの柱
2. つなぎのレメソス宿泊
3. ラルナカ

1. キリキア教会とパウロの柱

1月4日(金)、13時にはパフォス遺跡観光を終えたので、周辺を散歩することにした。
パフォス遺跡の脇にはPaphos Harbourと呼ばれる、お洒落なレストランが並ぶエリアがある。

1月という真冬でもアイス屋が何軒も営業していたが、やはり客は入っていないようだ。
また、店のようではなかったが何かの建物の入口に書いてある『Eλω』という文字列を見て、全て波動関係の物理量を表しているなとにやにやしてしまった。
Eはエネルギー、λは波長、ωは各周波数という具合に、ギリシャ文字は理工系をかじっているとそれぞれの文字に特定の意味を見出してしまうのではないだろうか。

Paphos Harbourの奥にはパフォス城が残る。
入場料はEUR2.5(約320円)。

パフォス遺跡の中にあったサランタ・コロネスが13世紀前半に地震で崩れたため、代わりに建てられたもの。
その後はオスマン帝国時代にまで使われ、当初の要塞目的だけではなく牢獄としても使われた。

パフォス城からはキリアキ教会も近く、徒歩で10分ほど。
聖パウロが鞭打ちを受けたとされる柱が残っているため、それを見に行った。

キリアキ教会の名は、聖女キリアキに由来している。
3世紀末にローマが四分統治(テトラルキア)されていた時代、キリアキとその両親はローマの東正帝ディオクレティアヌスと西正帝マクシミアヌスから厳しい迫害を受けた。
拷問に耐え抜いて斬首されたキリアキは、その後、東方正教における聖人とされた。

教会はキリアキ死後間もない4世紀に建てられたもので、内部にはいくつかのイコンが置かれている。
かつてはもっと大規模なものだったようだが、現在残っている教会は非常に小さく、訪問者も多くない様子だった。
教会で説明書きも全くないため、どのイコンが誰なのかも全く解らず。

教会の庭に残るパウロの柱は、1世紀の伝道者として知られる聖パウロが鞭打たれる際に固定されたとされる柱。
当初、パウロは熱心なユダヤ教信者だったのだが、イエスの死後に天からの光と同時にイエスの声を聞いたとして回心した。

歴史的には、パウロはギリシャ語やヘブライ語を話し、イエスの教えをユダヤ人以外にも広めることができたという点が非常に大きい。
現在のキリスト教が世界で広く信仰されている基礎を築いたため、最も重要な伝道者とされている。

1世紀中盤、パウロは当時ローマの属州だったキプロス島でイエスの教えを広めていた。
その際に捕まって鞭打たれたとされる。
キプロスで捕まった後も伝道の旅を続けたが、ユダヤ教からの離反を快く思わないユダヤ人も多かった。
パウロはエルサレムで捕まり、ローマ皇帝ネロの時代に後の初代教皇ペテロとともに殉教したとされる。

パフォスは、ギリシャ神話で美と愛の女神アフロディーテの生まれた場所としても知られる。
ローマの神々がギリシャの神々と混淆される過程で、アフロディーテはローマ神話でのヴィーナスとされた。

実のところ、自身はキプロス島がアフロディーテ生誕の地であることは四半世紀以上前から知っていた。
イギリスのBullfrog社が開発したゲーム ポピュラスⅡがギリシャ神話をモチーフにしており、アフロディーテとキプロス島で対戦をするからだ。
こうした自身の中で干からびた知識が旅によって生き生きと実感されることは非常に楽しい。

パフォスに残る考古遺跡やキリアキ教会などは『Paphos(パフォスの考古遺跡)』として世界遺産登録されている。
紀元前12世紀から残るアフロディーテ神殿がミケーネ人定住の証拠であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、ヴィーナス信仰の重要性が登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たしている。

キリアキ教会とパウロの柱を見終えて、近くのKato Paphos Bus Stationへ向かった。
この後はパフォスからレメソスに戻るため、レメソス行のバスが出ているKaravella Bus Stationに一旦行く。
往路は歩いたが、復路は疲れていたのでバスに乗ることにした。

618番の路線バスでKato Paphos Bus StationからKaravella Bus StationまででEUR1.5(約190円)だった。
ちなみに、料金は降車場所に依らずに一律。

路線バスに乗って10分後、14時半頃にKaravella Bus Stationに到着。
運悪く14時半発のバスがちょうど出たところだったため、次の15時のバスを待つことにした。

2. つなぎのレメソス宿泊

乗ったバスは、朝にレメソスからパフォスへ来た際にも使ったIntercity Buses社のもので、レメソスまで片道EUR7(約890円)。

15時パフォス発のバスに乗り、16時半前にレメソス市街近郊まで戻ってきた。
乗客が次々とバスではない場所で降りる中、自分以外の最後の乗客も降りた。

すると、バス運転手が自分に対してもここで降りろと言う。
おそらく、最後の乗客が外国人ということで丸め込んで仕事を早く切り上げようとしているのだろうと思ったのだが、こちらが降りたい場所を示しても言葉が全く通じない。

埒が明かないので、自分が今どこにいるかも判らないが、とりあえずバスを降りた。
南米などで同じ事をしたら自殺行為だろうが、キプロスということで治安上のリスクは非常に低い。
ただ、雨はかなりの激しさだった。

降ろされた場所の近くで目印を探すと、すぐにはAntniou Churchという教会が見つかった。
調べてみると、結果的には自分が降りようとしていた場所のごく近くなので、結果的には実害は無かった。

そこから歩くこと30分強で泊まるホステルも見つかった。
しばしばあることだが、今回のホステルも外観上は全く民家と区別がつかず、通りがかった通行人に尋ねるとたまたま外出していた宿泊者だったので助かった。

チェックインもザルで、名前すら確認されなかった。
既に暗くなっていたのと、ラルナカ~ヒロキティア~レメソス~パフォス~レメソスと移動が多い1日で疲れていた上に外は土砂降りだったので、外出する気も起きずに部屋で横になった。

翌日1月5日(土)、朝4時に起きてラルナカまでどう戻るべきかを調べた。
ラルナカでは、出国のために国際便に乗る必要がある。

Cyprus By BusのAirport ExpressはEUR9(約1,150円)で空港直行という点が楽。
一方のIntercity BusesのバスはEUR4(約510円)と安いものの、時間がかかるという特徴がある。

考えた結果、Intercity Busesのバスで早めにラルナカ市街まで向かい、少し観光をしてから空港に向かうことにした。
朝9時過ぎにOld Harbourのバス停に向かい、土砂降りの中でバスを待った。
厳密には、バス停らしきものは無かったので、バス停と思われる位置に立って待っていた。

バスは比較的すぐに来たが、止まってもらえずに先に行ってしまった。
ただ、運転手がもっと先で乗れという合図も送ってくれていたので、慌てて走ってバスを追いかけた。

Intercity BusesのサイトにはOld Harbourがバス停として記載されているが、地図上でバス停だと表示されている位置よりも実際のバス停は少し東寄りで、『Ulyses House』と書かれたビルの前になるので注意をしないといけない。
今回の運転手は止まってはくれなかったもののジェスチャーで教えてくれたので信号待ちのバスに追いついて乗ることができたが、知らないと少し辛い。

3. ラルナカ

パフォスを出ておよそ1時間半、11時頃にラルナカに到着した。

ビーチ横のAthenon通りの付近にラルナカの見所が集中している。
バス停から南下すると浜辺がすぐに見え、1月ではあるものの比較的暖かいキプロスでは多くの人で賑わっていた。
レメソスでは大雨だったが、ラルナカは天気もよく、キプロス最終日にしてやっときれいに晴れ渡った。

Athenon通りの南端にはラルナカ中世博物館。
EUR8(約1,020円)と比較的高い上、それほど時間もないので見送ることにした。
代わりに聖ラザロ教会に向かう。

聖ラザロ教会は9世紀のビザンツ時代に建てられた。
それほど観光的なランドマークがないラルナカでは主要な訪問先になりえるのではないか。
現在はキプロス正教会は管理している。

教会内部はそれほど広くないが、大通りから場所も近いためか観光客も多く訪れていた。
内部前面にあるイコノスタシス(イコノスシス)が正教会の教会であるということを特徴付けている。
イコノスタシスはイコンの集合体というだけではなく、教会内で一般の聖所と聖職者のみが立ち入ることができる至聖所を分ける役割もある。

教会の下は地下墓地カタコンベになっており、ここにラザロも埋葬されているとされる。
ラザロはイエスの友人であり、エルサレム近郊のベタニアに住んでいたが、30歳にして重病を患っていた。
イエスは見舞いに行ったが、4日前に病気でラザロが亡くなったことを知った。

悲しんだイエスが墓の前でラザロの名を呼ぶと、ラザロは蘇生したのだという。
その様子は見ていた人々をイエスの信仰へ向かわせることとなった。
ラザロはその後、ラルナカで約30年にわたって布教を行い、初代キプロス主教とみなされている。

短時間ではあるがラルナカの観光を終え、空港までバスで向かうことにした。
ラルナカに来たときと同じバス停に向かう。

乗車賃はEUR1.5(約190円)。
ここも一律料金で、距離とは無関係。

空港へは20分ほどで到着し、13時15分には到着。
思ったよりも早く着いてしまったため、チェックインの14時まで空港内のベンチに座って待つことにした。
ところが、チェックインできな臭いことを言われることになる。

 

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