レバノン旅行記 (3) ビブロス遺跡で歴史散策(2019年1月)
2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
2019年始のレバノン観光では、観光1日目にバアルベック、アンジャル、シドン、ティルスを訪れました。
2日目午前にはカディーシャ渓谷、神の杉の森に行きましたが、今回は午後に訪れたビブロスについてです。
【目次】
1. ビブロス遺跡:北側の石器時代、エジプトの遺構など
2. ビブロス遺跡:南側のアケメネス朝ペルシャ、十字軍の遺構など
3. ベイルートに寄道
1. ビブロス遺跡:北側の石器時代、エジプトの遺構など
1月3日(木)、カディーシャ渓谷を出発してから、車で時間ほどでビブロスに着いた。
ビブロスに残る遺跡は、カディーシャ渓谷と並んで今回の旅行で最も楽しみにしている。
1920年代にフランスとレバノンによって共同発掘が開始され、
入場料LBP8,000(約580円)を支払って門をくぐると、早速、十字軍時代に建てられた城砦が目に入ってきた。
目立つのでそこに進みたくはなるが、別ルートで広い遺跡内を進むことにする。
中東の国々ではいつも、いたるところに国旗が掲げられているように感じる。
レバノンの国旗は、レバノンが意味する『白』の地にレバノン杉が描かれるという、国名も特徴も極めて判りやすいものだ。
現在はジュベイルと呼ばれるビブロスにある遺跡の最北部には、Northern Fortificationsと呼ばれる石積みが続いている。
フェニキア人の諸都市の中でも最も古い部類に入るビブロスには、紀元前5000年頃からフェニキア人により街が築かれたとされる。
この石積みは、紀元前3000年紀に作られたそうだ。
地球の歩き方にはヒクソスの石積みと書かれているが、特にそのような説明は現地ではされていない。
ヒクソスは紀元前17世紀中盤にエジプトに侵入して第15王朝を創始以降、約1世紀にわたってエジプトを支配した。
少し南に下ると、1世紀頃のローマ支配時代の列柱や円形劇場が残っている。
紀元前4世紀後半のアレクサンダー大王によるフェニキア諸都市への侵攻以降、ビブロスもセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトからの争奪対象となった。
紀元前1世紀には共和制ローマによりシリア属州に組み込まれ、これらはその時代を象徴する遺構である。
ローマ遺跡の北側には、紀元前11世紀頃のアヒラム王の石棺が出土した場所が柵で囲まれている。
石棺には現存する最古のフェニキア文字が彫られているが、現物はベイルートの博物館にへ展示のために移送された。
紀元前3000年紀中頃の住居跡。
周囲よりも2~3mほど高い狭い台地に、土台の石組のみが残る。
これらはおおよそ、エジプトでピラミッドが作られた時代の遺構であることを考えると、いかにピラミッドの建造が突出した規模であったか思い知らされる。
近くには紀元前3000年よりも更に古い住居跡も残っており、同様に台地の上に建っている。
しかしながら、そちらは上まで行くことはできず、数百年の間に住居がどのように変遷したのかという確認をすることはできなかった。
仮に上れたとしても、土台だけしか残っていないので違いは判らなかったかもしれないが。
ビブロス遺跡の中央付近には紀元前19世紀頃に建てられたオベリスク神殿の遺構が残っているが、周囲を鉄柵に囲まれており、中に入ることはできない。
この頃、ビブロスなどフェニキア諸都市はエジプト第12王朝の支配下におかれ、グブラと呼ばれた。
フェニキアからエジプトへは、古代からレバノン杉やオリーブが輸出され続けた。
なお、クフ王ピラミッド横で発掘された太陽の船もレバノン杉から造られている。
エジプトとの交易で、ビブロスにはパピルスが大量に輸入され、それがギリシャなどに輸出された。
パピルスはもともとギリシャ語だが、異音同義語であるギリシャ語のビブロスが街の名前にも当てられるようになったことが、ビブロスの名の由来だという。
その後、ビブロスが訛ってバイブルの語源ともなったとされる。
バイブルの語源がレバノンにあることは、レバノン人の大きな誇りなのだとドライバーが教えてくれた。
2. ビブロス遺跡:南側のアケメネス朝ペルシャ、十字軍の遺構など
エジプト時代のオベリスク神殿の南に、アケメネス朝ペルシャの砦跡がある。
入口向かって左手の外壁からはペルシャの象徴である獅子の頭像が飛び出しているが、あまり目立たないので注意して見ないと見過ごしてしまう。
紀元前6世紀前半には新バビロニアの勢力がフェニキア諸都市に及んだが、その後キュロス2世によるアケメネス朝ペルシャの興りとともに保護を受けた。
ビブロスなどは地中海交易におけるペルシャの前線港として機能し、交易上ギリシャと対立したことは後のペルシャ戦争の原因になったともされる。
ここまでの時代のものは土台しか残っていなかったり損傷が激しかったが、ペルシャにまで時代が下ったことで石組の精巧な様子を間近で見られる。
11世紀頃の十字軍時代の砦の上から、遺跡と地中海を見渡すことができる。
遺跡を見ている間ずっと天気が悪かったが、最後に近づくにつれてやっと回復してきた。
最初に遺跡に入ってきたときに歩いたNorthern Fortificationsは、上からなら裏側も見ることができる。
裏手に広がる遺構はNorthern Quarterと呼ばれるフェニキア人の古代居住区らしい。
十字軍の遺跡よりも3000年以上前のものが、すぐ隣に残っていることが驚きだ。
ローマの遺構であるNympheumは、十字軍城砦の北東に位置する。
泉の神ニンフを祀る場所であるが、柱などが倒れたまま。
今後数年で建て直しなどの計画があるようだ。
素晴らしい天気の中で、14時前に十字軍城砦を後にした。
2時間ほど滞在したが、その気になれば1日いることができるほど歴史深い。
これらの遺構は『Byblos(ビブロス)』として世界遺産に登録されている。
初期のフェニキア文明の卓越した証跡であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、青銅器文明期以降の地中海世界における顕著な都市の事例であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観を、アヒラム王の銘などに見られるフェニキア文字の拡散にビブロスが重要な役割を果たしたとして登録基準(ⅵ)歴史上重要な出来事や思想等に関連するもの、の登録基準を満たしている。
3. ベイルートに寄道
ビブロスからベイルートまでは車で1時間もしないくらい近い。
途中、車の屋根にたくさんの荷物を積んでいる車が走っているのを見かけた。
ナンバープレートには『SYR』の文字。
隣国シリアの内戦から逃れてきた車だった。
車の中を見ると4人が乗っており、小さい子供2人を連れた比較的若い夫婦に見えた。
後部座席に座っていた母親は泣いていた。
ドライバーの話では、比較的資産がある家は国境でそれらを差し出すことで、こうやって車ごと逃げてくることができるのだそうだ。
ベイルートで最もメジャーな観光地のうちのひとつが鳩の岩。
何が鳩なのかドライバーに聞いてみたが、ドライバーも知らなかった。
それでも、レバノン人はベイルートに住んでいなくても誰もが知っているような場所らしい。
そう言えば、クウェートからベイルートに来るときに乗ったMiddle East Airlinesの機内安全ビデオでも、バールベックや神の杉の森とともに鳩の岩も登場していた。
レバノン人にとっては、神の杉の森と同列に扱われるほどのものなのだろう。
鳩の岩の周囲にはカフェやレストランが立ち並び、通りもきれいに整備されている。
シリアの隣国というイメージからは程遠いのではないだろうか。
現実はこのように近代的な街並みではあるのだが、やはりイメージがあるのか、レバノンの旅行中に見た観光客は非常に少なかった。
バールベックやビブロスなど、レバノンを代表する遺跡ですらもそれぞれ3人程度しか観光客を見ることはできず、つい数日前までいたエジプトとの落差には驚いた。
ちょっとしたベイルート市内の寄り道を経て、16時前にベイルート空港に到着した。
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