レバノン旅行記 (1) バアルベックとアンジャル(2019年1月)

2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
エジプトとクウェートの観光を終え、後半戦のレバノンに入ります。
観光2日間のうち、1日は南と東の遺跡を中心に回りましたが、まずは東部の遺跡についてです。

【目次】
1. レバノン基礎情報
2. レバノンへ
3. バアルベック
4. アンジャル

1. レバノン基礎情報

人口  :585万人
面積  :10,452平方キロ
首都     :ベイルート
公用語:アラビア語
時差  :UTC+2(日本から7時間マイナス)
通貨  :レバノンポンド(LBP)
レート  :LBP1=JPY0.073(2019年2月19日時点)
ビザ    :日本人は滞在日数が1ヶ月以内であれば空港でビザ取得可能(2019年2月時点)

2. レバノンへ

1月1日(火)の14時半前にレバノンの首都ベイルートに到着した。

入国審査を済ませ、空港内でエジプトにて余った通貨EGPが両替できるか確認した
が、取扱不可だった。
約EGP3,000(約18,600円)も余っているのでこの旅行中に何らか形で消費したかったのだが、逆に先ほどまでいたクウェートの通貨は両替可能だった。

エジプトのルクソールからクウェート観光を経由した結果、徹夜となってしまい
非常に眠い。
そのため、タクシーでベイルート市内のホステルに向かうことにした。
公定レートは市内まででおよそUSD45(約4,950円)とのことで高かったが、疲労には勝てなかった。

空港から中心部へ空港タクシーに乗ったが、今までに見たことがないくらいのスピードでメーターが上がった。
3秒毎にLBP400(約30円)くらいの割合で、今まで見たことがないほどの上昇速度だったので、運転手への牽制と自己防衛の二重の意味で動画を撮り始める事にした。

異常に思われる速度で上がるメーターの動画を撮られていても運転手は平然としており、むしろ『大丈夫だ。安心しろ』というようなことを言ってくる。
実際に、途中から急激にメーター上昇速度が落ち、結果的にはUSD50(約5,500円)となった。
ホステルの場所が判りにくかったようで運転手が少し迷ったが、おおよそ公定レートに近い。

ホステルにチェックインし、荷物を置いて近くの商店に買い物に行った。
水1.5リットル、100gくらいのポテトチップスはいずれもLBP1,000(約73円)。
翌日朝の食事が確保できたので、やっと約40時間ぶりの睡眠をとることができた。

3. バアルベック

翌日1月2日(水)は朝5時に起き、6時半に迎えに来たドライバーの車に乗ってベイルートの東方にあるバアルベックを目指した。
ベイルートは西を海に、北と東は山に囲まれているため、バアルベックへの道中は山あいをくねりながら進む。

途中、山あいに見えた雲海と朝日の色に感動してドライバーに少し車を止めてもらった。
レバノンというと中東の乾燥したイメージで、雲海がかかることは来てみないと想像もできない。

8時過ぎにバアルベックに到着した。
1月ということもあって寒く、呼気も白くなるほど。

紀元前2000年頃から盛衰がありながらも、現在のレバノン一帯を中心に交易を盛んに行ったフェニキア人は、この地域にも都市を建設した。
後にローマによって征服され、紀元前1世紀中頃からはローマによる開発が進んだ。
その過程でユピテル、バッカス、ヴィーナスを祀るために建てられた神殿が現在のバアルベックである。

バアルベックは比較的シリアに近く、2016年にはレバノン政府がバアルベック地方のシリア人難民キャンプを攻撃し、レバノンへの自爆攻撃に関わったとされる100名以上を逮捕している。
とは言え、観光する分には特に危険を感じるような雰囲気ではなかった。

ローマ神話のユピテル、バッカス、ヴィーナスはそれぞれギリシャ神話のゼウス、ディオニュソス、アフロディーテに由来する。
バアルベックはそれぞれの神を祀る領域に分かれているが、3世紀頃に造られたヴィーナスの神域のみ、完全に柵に囲まれて観光客には開放されていない。
但し、チケット売場の外側にあるため、柵の周りから眺めることは無料でできる。

まだ遺跡は開いておらず、ガイドが買ってくれたコーヒーを飲んだり周辺を散歩して時間を潰した。
高台からは遺跡とその背後の山々が見え、レバノンがフェニキア語で『白』を意味する通り、山は雪をいだいている。

このような光景を見ると、2017年の5月に訪れたアルメニアのホルヴィラップ修道院を思い出す。
アララト山とホルヴィラップ修道院の対比は絶景だった。

9時過ぎに開場となったため、入場料LBP15,000(約1,100円)を支払った。
紀元前1世紀にローマ化が始まる以前には、フェニキア人が豊穣神バアルが祀られていた重要な場所であり、その背景はバアルベックの名前の由来となっている。

1世紀中頃、ローマ皇帝ネロの時代にはユピテルの神域が完成したとされる。
ここから少し離れたイスラエルでは、ローマとその支配下にあったユダヤ属州が独立を求めて争ったユダヤ戦争が数年後に起こることとなる。

高台にあり、当時はパルテノン神殿を上回る面積を誇ったようだが、現在はコリント式の柱6本が面影を残すのみ。
その柱は修理中で鉄骨に囲まれてしまっており、趣を感じにくいものになってしまっていた。

ユピテル神域から見下ろす前庭は崩れた建造物が多いものの、世界有数のローマ神殿遺跡であるバアルベックの威容を強調するのに十分な広さがある。
現在はビルなどが見えてしまっているが、当時は周囲には山しか見えなかったのだろう。

バッカス神域は2世紀に建てられた大神殿が中心となる。
こちらはユピテル神域とは異なり、神殿そのものが保存状態が良く残っている。

酒神として知られるバッカスはギリシャの都市国家テーバイの王女セメレと大神ユピテルの間に生まれた。
ゼウスの妻ヘラの激しい嫉妬に起因する厄災や放浪を乗り越え、葡萄からワインを製造する方法を見出したこととされている。

これらの神域は『Baalbek(バアルベック)』として世界遺産登録されている。
フェニキアとローマが融合した芸術でもあるとして登録基準(ⅰ)人類の傑作を、ローマの富と力を十分に示す建造物群であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たしている。

1世紀にユピテル神域、2世紀にバッカス神域、3世紀にビーナス神域の増築が進められたバアルベックも、3世紀末にローマの国教がキリスト教になるとローマの神々への関心が失われ、廃れていった。
ウマイヤ朝侵攻などアラブ世界が伸張した7世紀以降は要塞として使われたこともあったようだが、ローマの神々を祀るという本来の使い方をされることは二度と無かった。

4.アンジャル

バアルベックから車で北上し、約1時間後の11時半前にアンジャルに到着した。
入場料はLBP6,000(約440円)。

アンジャルは、ウマイヤ朝6代カリフのワリード1世により8世紀初頭に保養地として建てられた。
ワリード1世はシリアの世界遺産であるダマスカスの旧市街にあるウマイヤ・モスクを建てたことでも知られ、各地にも同様の足跡を残したとされる。
バアルベックを出る時点では良い天気だったのだが、みるみる天気が悪くなって小雨が降ってきてしまった。

アンジャルの建設においては、それまで一帯を支配していたローマと後に続くビザンツ時代の建造物を転用したのだそうだ。
王宮を中心に公衆浴場やモスクなどが周囲に置かれたという。

これらの遺構は『Anjar(アンジャル)』として世界遺産登録されている。
正確な年代情報を伴うウマイヤ朝の証拠であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、8世紀におけるウマイヤ朝管理下都市の特徴を備えているとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たしている。

ローマ帝国時代とウマイヤ朝時代の遺跡の訪問を終えて、次は南方のフェニキア都市の遺構に向かった。

 

 

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