ペルー旅行記 (1) クスコから列車で行くマチュピチュ(2017年8月)

2017年8月にペルー~エクアドル~チリのルートを回りました。
ペルーではマチュ・ピチュ、エクアドルではガラパゴス諸島、チリではイースター島がメインで、南米太平洋側の周遊です。

色々とフライトトラブルに見舞われて大変でしたが、まずは順調だったマチュ・ピチュの記録です。

【目次】
1.  ペルー基礎情報
2.  ペルーへ
3.  マチュ・ピチュ

1. ペルー基礎情報

人口  :3,138万人
面積  :1,285,216平方キロ
首都    :リマ
公用語:スペイン語
時差  :UTC-5(日本から14時間マイナス)
通貨  :ソル(PEN)
レート  :PEN1=JPY34.46(2018年9月30日時点)
ビザ    :日本人は年間滞在日数が183日以内であればビザ不要(2018年9月時点)

2. ペルーへ

8月11日(金)、朝の便で伊丹空港から成田空港へ向かった。
この区間はAC 6255便というエアカナダ便名で取っているものの運行はANAで、巷では知られたNH2176便に該当する。
この便は国内線でありながら国際線機材であるボーイング777-300ERで運行されるため、PEXチケットながらも幸先よく国際線ビジネスクラスのシートに乗れて良かった。

成田からはトロント経由でリマに飛び、先に南アメリカ入りしている会社の後輩とリマ空港で合流してから、マチュピチュ・ガラパゴス諸島・イースター島などを巡るという旅程。

朝9時過ぎに成田に到着したものの次のフライトは夕方17時半なので、ユナイテッド航空・エアカナダ・ANAのラウンジをはしごして時間をつぶした。
その後、17時半成田発~トロント行の便に乗った。

成田から約12時間で着いたトロントは予定より1時間ほど遅れたため、次のトロント発~リマ行の便への乗継時間が本来は1時間半あったはずが30分に圧縮されてしまった。
下手をすると乗れなくなると焦ったが、トロント発~リマ行の便の出発も1時間ほど遅れていたため、結果的に十分に間に合ったので良かった。
最初のフライトで乗継遅延を起こそうものなら後行程全てに影響するため、目も当てられない。

トロントからは接続便で8時間ほど南下し、翌8月12日(土)の深夜1時頃にペルーのリマ空港に到着した。
税関を通ったところで、1週間早く南米入りしてイグアスの滝~ウユニ塩湖~ラパス~ナスカの地上絵~リマを回っていた職場の後輩と合流。
日本から遥か遠い地で、知っている顔を見ると非常に安心する。

そのままアビアンカ航空でリ発マ~クスコ行の便のチェックインをして、飛行機の出る朝5時くらいまでラウンジで時間をつぶすことにした。
リマ空港は国際線であれば仮眠室も備えたラウンジもあるが、国内線では非常に狭いラウンジが1つあるだけなので、移動で疲れていたものの眠れる状況ではなく辛い。

3. マチュ・ピチュ

リマからは1時間強の国内線フライトで、朝7時前に約3年半ぶりのクスコに到着。
スタート地点の伊丹空港からは乗継時間含め35時間弱かかった。
長時間移動して疲れている状態で一気に標高3,400mまで来たため息苦しさをおぼえ、意識的に深呼吸を心がける。

空港からはタクシー乗車30分ほどで鉄道のポロイ駅に着いた。
本来であればクスコ空港からポロイ駅までのタクシーの値段は比較検討の上で交渉すべきなのだが、クスコ空港に到着した時点で1時間強後に出発する電車に乗らなければならないため、空港前の2~3台のタクシーに値段を聞いただけで決めてしまった。
そんな場所で聞いてもまともに価格比較ができるわけもなく、PEN60(約2,070円)で手を打った。

ポロイ駅からは8時半発マチュピチュ行きの列車に乗る。
わずか数年で列車の競争環境が変わり、2017年8月時点ではクスコからマチュピチュに行く列車は3社ほどが運行されるようになっていた。

今回はPeru Rail社で予約をしたが、3年前に予約をしたときに比べると3割くらい値段が上がっているように感じた。
出発時間別に3段階ある列車等級のうち、真ん中のVista Domeで片道USD105(約11,600円)だった。
列車の天井がガラス張りで、一面が見渡せるという車両。
新規参入が増えて競争は激化しているはずなのに値段は上がっているあたりが、需要の急増を反映しているのだろう。

ポロイ駅からマチュ・ピチュ駅までは3時間以上列車に乗らなくてはならない。
ウルバンバ川に沿った線路の上を走る途中には、崖の上にある絶景ホテルとして知られるThe Skylodge Adventure Suitesもある。

12時過ぎ、マチュ・ピチュ駅に到着した。
日本では一帯を通称マチュ・ピチュ村とも呼ぶことが多いが、正確な地名はアグエスカリエンテス。
クスコよりも標高は低いものの2,000mは越えている。

駅から出て、宿に向かう途中で村の中心にあるマンコ・カパック広場に出た。
インカ帝国の初代皇帝の名を冠した広場で、周囲を飲食店が囲んでいる。
近くにスーパーもあったのでそちらで食料調達も可能。

その後、宿でチェックインをして部屋に重い荷物を降ろした。
家を出てから40時間以上、やっと荷物から目を話せる環境に置くことができて非常に嬉しい。

荷物を置いてからマチュ・ピチュ行きのバス乗り場に向かった。
行列が異様に長かったが、バスは5分おきくらいに発車するので待ち時間自体は見た目ほど長くなく30分も待たずに済んだ。
バス料金は往復で約USD25(約2,700円)だった(2017年8月時点)。
なお、バスチケットは当日乗り場でも買えるが売り場の行列も長いので、Consettur Machu Picchu S.A.Cなど事前購入できるサイトで準備しておいたほうが良い。

5分毎に40人を輸送するとして、輸送密度は8人/分。
バス会社は旅客1名当たり往復USD25(片道USD12.5)の収入なので収入はUSD100/分、つまりUSD6,000/時。
朝8時から夕方17時までの9時間稼働とすると収入はUSD54,000/日と推測されるが、往復分なのでUSD108,000/日。
USD1を100円に単純換算しても1日あたり1千万円の売上となる。
単一路線でこれだけの収入があるということになるが、ペルーの物価を考えると恐るべき高収益と言える。

アグエスカリエンテスからマチュ・ピチュまではバスで30分ほど。
標高が2,000mから2,400mまで短直線距離のうちに上がるため、山の斜面を蛇行しながら進んだ。

マチュ・ピチュは1日の入場可能者が決められているため、必ず事前にチケットを買っておかなければならない。
公式サイトで買うこともできるが、かなり煩雑だったりうまく決済ができないという情報がある。
実際に自身も公式サイトでの購入を試みたが、途中でエラーがどうしても解消できずに断念した。
2時間くらい頑張ったと思う。

そのため、Ticket Machu Picchuという別の補助サイトで買った。
マチュ・ピチュのみの入場券を公式サイトで買う場合はPEN152(約5,240円)で、Ticket Machu Picchuで買うとUSD70(約7,800円)となるが、公式サイトで買う高い壁を考えると高いとは考えていない。
むしろ、公式サイトでかけた時間や受けたストレスを考えると、最初からTicket Machu Picchuで買っておけば良かった。
このような補助サイトがある時点で、補助サイトにビジネスチャンスを与えるほど公式サイトでの購入が難しいということを表していると思う。

入口でチケットを見せ中に入ると既に歩道は山の端ぎりぎりで、視界を木々に遮られることがない。
少し歩くと左手には山に道がずっと続いている様子が見えたので、メインの遺跡から離れてそちらに歩いていった。

しかし、この道は麓からトレッキングで来る人のための道ということに途中で気がついた。
そのため、20分くらいかけて歩いた道を同じように元に戻る羽目になった。
観光は周辺から回るといういつもの習性が悪さをしてしまった。

元のメインルートに戻ると、あまりに有名な景色が広がっている。
手前の石造りの遺跡はマチュ・ピチュ(老いた峰)にあるが、奥の山はワイナ・ピチュ(若い峰)という標高約2,700mの別の山になっている。

ワイナ・ピチュからマチュ・ピチュを見下ろすトレッキングは非常に人気で、すぐにチケットを取らないとなくなってしまう。
料金的にも魅力で、マチュ・ピチュの公式料金PEN152(約5,240円)に対し、ワイナピチュを追加してもPEN200(約6,900円)に過ぎない。

遺跡に下ると太陽の神殿などの建造物も目の前で見ることができる。
マチュ・ピチュは、1911年にアメリカの考古学者ハイラム・ビンガムが発見した。
クスコからアグエスカリエンテスまで列車を運行するPeru Rail社は最上級列車をハイラム・ビンガム号と名づけているが、最近は第一発見者がハイラム・ビンガムではなく地元民であるという説があるらしい。

インカ皇帝9代パチャクテクの時代に着工したとされるマチュ・ピチュは、いまだにその役割等が完全には判っていない。
少なくとも、発見者ハイラム・ビンガムが唱えた『インカ滅亡後のインカ民が集結してスペインに抵抗した砦ビルカバンバである』という説は年代的に否定されている。
現在は日時計と考えられているインティ・ワタナ(太陽をつなぐもの)も、生贄を捧げる台と考えられていた。

遺跡の中にはリャマが多く暮らしており、周囲と激しい段差がある狭い部分にもいて、どうやってそこにいるのかが謎。
ちなみに、似た動物として知られる動物を整理すると下記のようになる。
腹の文様や耳の形状でそれぞれ見分けられるらしいが、自分はあまりできない。

リャマ→ラクダ科ラマ属
グアナコ→ラクダ科ラマ属
ビクーニャ→ラクダ科ビクーニャ属
アルパカ→ラクダ科ビクーニャ属

一帯は『Historic Sanctuary of Machu Picchu(マチュ・ピチュ)』として世界遺産登録されている。
まるで山の延長のごとく周辺環境と芸術や建築の融合しているとして登録基準(ⅰ)人類の傑作、インカ文明の独特な証拠であるとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠、長きに渡る人間の文化と自然景観の事例であるとして登録基準(ⅶ)優れた自然美、アマゾン川流域からアンデス高地に至る多様な動植物を擁しているとして登録基準(ⅸ)生態系を満たしている。

歩いていると、腕が時折ちくちく痛むことに気がついた。
それまでは遺跡に夢中で気がつかなかったが、終盤になって気持ちも落ち着いたので気がつくようになったのだと思う。
ちくちくする場所見ると、コバエのような3mmくらいの大きさの虫が腕を噛んでいた。
慌てて振り払ったが、既に20ヶ所ほど刺されていた。

数年前、マチュピチュ旅行者がハエを追い払わずに遺跡を観光し、帰国後に激しい頭痛に襲われて検査した結果、ウマバエに産み付けられた卵からウジが孵化して脳を食い荒らしていることが判明した記事を読んだことがある。
結果的には自分が噛まれたのはただのブヨだったが、これまでブヨは名前しか知らなかった。
水がきれいな場所ではないと発生しないので、現代の日本の都会で遭遇することはない。
その強烈な痒みを、身を以って知ることとなった。

マチュ・ピチュから麓のアグエスカリエンテスに帰るまでのバスは1時間ほどの行列だった。
17時の閉場までいてしまうと大混雑になるため、少し時間に余裕をもった帰宅をした方がいい。

アグエスカリエンテスでは宿で少し休み、夕食を食べる場所を探して歩いた。
世界に冠たる観光地だけあって食事ができる場所は多くあり、場所には困らなかった。
ピザやフライドポテトを2名分頼んで合計PEN50(約1,720円)ほどなので、場所の割にはあまり高くないように感じた。

夕食を終えて部屋に帰ると、窓を閉めていなかったせいで部屋中が虫だらけになっていた。
光を反射するからなのか、ベッド上のクリアファイル周辺に特に多くの虫。
壁にも胡麻を振り掛けたような大量の虫がこびりついていた。

機中泊2連泊後にやっとホテルで眠れると思ったものの、ブヨの激烈な痒みもあってまともに寝ることができなかった。
窓は必ず閉めて外出すべきだと反省した。

 

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