キプロス旅行記 (1) ヒロキティアとパフォスの考古遺跡(2019年1月)
2018年末から2019年始にかけてエジプト~クウェート~レバノン~キプロスを周遊しました。
レバノンの観光を終え、今回の旅行の最終訪問国であるキプロスに入国します。
【目次】
1. キプロス基礎情報
2. キプロスへ
3. ヒロキティア考古遺跡
4. パフォス考古遺跡
1. キプロス基礎情報
人口 :117万人
面積 :9,250平方キロ
首都 :ニコシア(レフコシア)
公用語:ギリシャ語
時差 :UTC+2(日本から7時間マイナス) ※サマータイム時はUTC+3
通貨 :ユーロ(EUR)
レート :EUR1=JPY126.23(2019年3月19日時点)
ビザ :日本人は滞在日数が90日以内であればビザ不要(2019年3月時点)
2. キプロスへ
1月3日(木)、レバノンのビブロス観光を終えてベイルート市内を通り、15時半前にベイルート空港に到着した。
チェックインカウンターエリアに入るまでに2回ほどセキュリティチェックがあり、想定以上に時間を要した。
チェックインカウンター自体も激しく混雑しており、オンラインの事前チェックインと電子航空券の出力をしておいて本当に良かった。
さもなければ発券だけで1時間以上かかりそうな列の長さ。
しかも、列が長いだけでなく、1人当たりの処理もかなり遅いように見えた。
混雑するチェックインを横目に向かった出国審査では、フランス語表記しかない出国カードに苦戦。
周囲で出国カードを書いている乗客のうち英語がわかる人を捕まえて助けて頂いたが、決まりきったフォームなので、本来は事前に調べておくべきだった。
出国審査を終えて、ラウンジに入った。
ラウンジでシャワーを浴びていると、突然電気が落ちてしまった。
手を大きく振るとセンサーが反応して電気が点く時もあったが、またすぐ消えてしまう。
そのうち諦めて、暗い中で目を慣らしながら着替えまで終えた。
ラウンジで一休みしてから搭乗ゲートに向かうと、ゲートエリアに入るためのセキュリティチェックがある。
ベイルート空港で3回目のセキュリティチャックを済ませ、20時ベイルート発~ラルナカ着のMiddle East Airlines便でキプロスへと向かった。
レバノンのベイルートからキプロスのラルナカへは、地中海最東岸部の海を渡って向かうが、距離は僅か300km程度のため、飛行機で1時間くらいで着いた。
レバノンからの便だったからかは判らないが、ラルナカの入国審査では出身地やどこに宿泊するのかの質問、バウチャーの確認など1人あたりに非常に時間をかけている様子だった。
入国審査を終えてユーロをおろそうとATMに向かったが、VISA、MASTER、AMEX、DINERSがことごとくはじかれ、全く現金をおろすことができない。
空港の外にも他のATMがないか探したが、全く見当たらず。
手持ちの現金は20ユーロくらいしかないために青くなったが、最終的には最初に試したVISAと違うVISAでやったらうまくいった。
予備の現金をある程度持ち歩いておかないといざとなったら困るということを再認識。
空港からラルナカの市街までバスはあるが、ATMで精神的に疲れたこともあり、タクシーでホテルまで向かった。
3km程度の距離でEUR15(約1,900円)と高かったものの、現金がおろせたことに安堵していたのでそれほど気にならなかった。
3. ヒロキティア考古遺跡
翌日1月4日(金)、ホテルで目を覚ますと目の前は地中海。
エジプト~クウェート~レバノン~キプロスと周ってきて、やはりヨーロッパだと安心度が高い。
空は曇っており、風も強いが1月の割には寒さは比較的ましで、半袖でも行動できるくらいだった。
今日のはラルナカからヒロキティア遺跡を経由してレメソス(リマソール)へ向かい、そこから更にパフォスまでバスで行き、遺跡を見てから再びレメソスに戻って宿泊するという計画にしている。
ざっくり言うと、キプロス島の東部から中部へ向かい、中部から西部への往復という行程。
ラルナカからヒロキティア遺跡まではIntercity Buses社のバスが出ており、片道EUR4(約510円)。
ただ、バスは出発時間が限られていたので、タクシーの値段も確認してみることにした。
ホテルの受付で値段を聞いてみると、ラルナカ~ヒロキティア(1時間程度の観光中待時間も込み)~レメソスでEUR70(約8,930円)だという。
バスで行くとラルナカ~ヒロキティアとヒロキティア~レメソスで各EUR4(約510円)なので、合計でEUR8(約1,020円)。
つまり、タクシーはEUR62(約7,910円)を追加で支払う必要がある代わりにバスの待ち時間を削れる、レメソスでパフォス行バス停で降ろしてもらえば迷う可能性も無くなるという利点があることになる。
考えた結果、バスとタクシーの差額は小さくはないものの、限られた観光時間で効率的に動きたいという判断からタクシーにすることにした。
8時前にタクシーに乗車し、わずか30分程度でヒロキティア遺跡に到着した。
定額での交渉は済んでいるが、一応タクシーのメーターを見ていると時速75~80kmくらいの速度で毎秒EUR0.03ずつ上がっていた。
ヒロキティア遺跡の前で下ろしてもらい、入口で入場料を確認するとEUR2.5(約320円)。
あいにく手持ちの最小単位がEUR20しかないことを伝えると、釣銭がないらしく、支払は後でいいから先に入れと通してくれた。
こういった融通が利くのは嬉しい。
ヒロキティアはそれほど広くなく、小高い丘とその周辺からなる古代の定住集落跡である。
紀元前1万年頃のアジアの新石器文明が紀元前7,000年頃にこの地域に伝播し、更に地中海全域へ広まるという過程で重要な役割を果たした。
丘の中腹には、前7000~前4000年頃に建てられた新石器時代の集落跡が見られる。
屋根がついていただけではなく、壁も塗装されていたのだという。
これらの遺構は『Choirokoitia(ヒロキティアの考古遺跡)』として世界遺産登録されている。
有史以前に近東からヨーロッパへの文化伝播に大きな役割を果たしたとして登録基準(ⅱ)価値観の交流を、保存状態の良い遺跡が文明伝播の科学的な証拠を備えているとして登録基準(ⅲ)文化的伝統・文明の証拠を、地中海域における初期定住の証拠であるとして登録基準(ⅳ)人類史上代表的段階の建築・技術や景観、の登録基準を満たしている。
1時間ほどの遺跡観光を終え、入口で料金を払ってタクシードライバーと合流し、ヒロキティアを後にした。
車で走ること30分弱でレメソスのバス停に到着。
ちょうどパフォスに向かって出発しようとしているバスに乗ることができた。
レメソスからパフォスまではEUR7(約900円)。
レメソスでバスに乗ってから約1時間、10時15分頃にパフォスまで来ることができた。
割り切ってラルナカ~ヒロキティア~レメソスをタクシーにしたため、時間が節約できたということが非常に大きいと思う。
4. パフォス考古遺跡
パフォスでは、到着したKaravella Bus Stationから徒歩でパフォス遺跡に向かうことにした。
少し距離はあるものの、ほぼ一本道で迷う心配が無く容易に歩くことができた。
とは言え、ところどころ地図で確認しながらの歩きだったので標準では40分未満と表示されていたところ、実際には1時間以上を要した。
遺跡は海辺の近くにある。
遺跡前を東西に通る通りには土産物屋や飲食店が多く並んでいた。
ただ、場所が良い分だけ食事は高めに見えた。
ラルナカからレメソスまでタクシー移動でEUR70(約8,930円)を使っているので、食事は取らず。
パフォス遺跡の入場料はEUR4.5(約570円)。
内部にはローマ時代の遺跡が残り、特にモザイク画が有名。
モザイクはローマ高官の家に残っており、現在ではそれぞれのモザイク画が各家の呼び名に取って代わっている。
例えばアイオン(エオン)の家は、その名の通りギリシャ神話の永遠・時間の神アイオンの名に由来している。
2世紀のテセウスの館はにも素晴らしいモザイク画が残っている。
代表的なものがテセウスとミノタウロスのモザイク。
アテナイ王アイゲウスの息子として生まれたテセウスは、アテナイから宗主クレタ島の迷宮ラビリントスに住むミノタウロスへ生贄を出している状況を改めるため、生贄にまぎれてラビリントスに渡った。
ミノタウロスはクレタ王ミノスが海神ポセイドンの怒りに触れて呪いのもとに誕生したのだが、あまりに粗暴で人肉を好んだために工匠ダイダロスが造った迷宮の奥に閉じ込められていた。
無事にミノタウロスを倒し、入口から張っていた糸を伝って迷宮の外に出たテセウスは、そのままクレタ島を出航してしまった。
父アイゲウスとの約束で、無事に帰ることができる際には帆を黒から白に張り替えて帰らなければならなかったのだが。
アイゲウスは船の黒帆を見て、息子の死を嘆き悲しんで海に身を投げた。
アイゲウス王が身を投げたその海は、王の名前からアイガイア海と呼ばれ、さらに訛って現在のエーゲ海になったとされている。
テセウスと同じようにギリシャ神話の英雄として知られるアキレス(アキレウス)のモザイクをあり、生後の洗礼の様子を表している。
ホメロスの叙事詩『イリアス』でも知られるアキレスは、プティア王ペレウスの息子である。
母である海神テティスはアキレスを不死身にするため、冥界を流れるステュクス川にアキレスを浸した。
しかし、その際に足の健を持っていたために川の水がかからず、弱点となってしまった。
そのため、トロイア戦争で弓を受けて死んでしまったという話がアキレス腱の由来としてよく知られている。
結末は違うが、日本人だと耳なしほういちを思い出してしまう。
ディオニュソスの館は、テセウスの館ほどではないが大規模で、多数のモザイク画が出土した。
これまでのモザイクとは異なり、保存用の建屋の中で保存されている。
やはり、モチーフはギリシャ神話。
ゼウスが遣わせた鷲がガニメデスを連れ去る様子が描かれたモザイク。
ガニメデスが美少年であったため、酒宴に適していると考えたゼウスはガニメデスの父に見返りとして馬を2頭与えた。
水瓶座は天に昇ったガニメデスの持つ水瓶を表すだけではなく、木星の衛星ガニメデもガニメデスに由来を持つ。
現代の我々の周りにギリシャ神話由来のものが如何に多いのか思い知らされる。
ローマ時代の半円劇場と、その前に広がる広場。
劇場の規模が比較的小さい割には広場は大きく、いまひとつ人口規模のイメージが湧かなかった。
サランタ・コロネスは7世紀にビザンツ帝国時代に建てられた砦で、ウマイヤ朝からの侵攻を防ぐ目的を持っていた。
7世紀末にはビザンツ帝国とウマイヤ朝がキプロスの共治で合意したが、砦は地震で倒壊する13世紀まで残った。
2時間ほどのパフォス遺跡観光を終え、敷地外に出る頃でも時間はまだ13時くらいだった。
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